| マイケルアレフの ことばの認識は世界を変える |
| 考えることで新たに気づいたこと 3.その3 大人が幼児に言葉を教えるとき、何を教えているのか? 幼児は何を学んでいるのか? 言葉とはいったい何なのか? 日常の一場面: テーブルの上に赤いりんごが置いてある。 母親が2才の娘に「美味しいりんごだよ、りんごを食べようね」と言って、りんごの皮を剥き、切り、一つを皿の上にのせて渡した。 何度となく繰り返される会話の一場面であるが、こうした会話を通して、言葉が子供に伝えられていく。 会話により、りんごという実際に存在する食べ物の名前を教えていることはわかる。 りんごは食べ物の名前、名称、単語であり、言葉である。 この言葉を教え、教えられてきた長い間、言葉の働きに気付かず、見落としてきたことがある。 それは、脳とその働きを知らなかったために、言葉が何かわからず、物と言葉か同じだと思い込んできた背景でもある。 何を見落としてきたというのだろうか? 言葉の働きとは何なのか? シリーズ1から何度となく説明してきた過程を経て、ようやく言葉の意味が、はっきりと明確になってきたように思う。 日本語では、単語、文章、考え、考えから作られるもの全てを言葉と表現している。 単語は一つの物に付けた名前のことで、言葉の元、基本である。 英語で言葉はワード WORD で、単語である。言語ではない。 単語が集まると文章になり、文章が集まると考えになる。考えから様々な話、意見、理論などが作られる。 言葉の元、言葉の基本は単語である。 単語は、物に付けた名前のことである、と書いた。 そう教えられ、そう思っていた。 ところがここに、今まで気付かないでいたこと、見落としてきたことがある。 単語は、物に付けた名前だけではないことである。 他に何があると言うのか? 言葉としての単語の意味は名前だけではない。 単語には五感からの情報が含まれている。 一般的には、見ることによる情報がその単語の名前と共にある。 簡単に言うと、画像(イメージ)のことである。 りんごという名前を聞いただけで、りんごを思い出す。 思い出すのは画像である。なぜ画像が出てくるのか? 脳に記憶として作られ、蓄積されているからである。 脳の働きを知らなかった時には、画像がイメージとして記憶に残されることを知らなかった。 それで、物と名前が同じだった。 言葉としての単語の正確な意味は、物の名前と五感からの情報である。 簡単に言うと、単語は物の名前と画像(イメージ)から作られている。 これを理解できたなら、以下の説明から、言葉の働きを理解することができる。 言葉(単語)とは何か? 物にはそれぞれの名前がある。 単語(言葉)は全て、画像のイメージとそれに付けられた名前である。 重要なのは、その名前が物にあるのではないことである。 そんなことはあり得ないと思う人もいるかもしれないが、 ここに今まで気付かないでいた重要な事実がある。 その名前は物にあるのではなく、脳に単語(言葉)として、つまり、物の画像のイメージとそれに付けた名前として記録されている。 実体を見るとき、その名前を呼び起こし、みかん、イチゴ、バナナなどと表現するが、それは脳にある単語(言葉)である。 実体は五感で認識できる物、存在そのものの意味である。 「物に名前がある」と教えられてきた。しかし、これは事実ではない。 物(実体)は名前ではない。言葉ではない。物に名前があるのではない。 その説明: 物である実体に名前を付けてみる。物を名前で呼んでみる。 その物に付けた名前で呼ぶようになると、その名前が物になる。それに慣れてくると、物と名前が同じになる。 物に名前を付けたから、名前があるようになり、その名前で物がわかるのであり、 名前を付ける前に物に名前はなかった。物は名前ではない。 実体は同じでも、呼び名を変えることができる。 物という実体に名前は初めからあるのではない。名前を付けたから名前がある。 その名前は物にあるのではなく、人間の脳に言葉(単語)として残される。 ここに果物がある。りんごである。英語ではアップルである。 言語が違えば、名前が違う。同じ実体に対して言葉(単語)が違う。 実体その物は同じでも、付けられた名前が違う。 このことは、物に名前があるのではなく、名前を付けたから言葉(単語)としてあり、その名前は実体にあるではなく、脳にその名前、名称、言葉として記憶されていることを示している。 人の名前 昔から、人は名前で呼ばれてきた。名前イコール本人であるかのように思われている。誰もそれに疑問を持たないできた。 赤ちゃんが産まれると名前を付ける。初めは、子供の名前に慣れていないため、違和感がある。しかし、名前で呼ぶことに慣れてくると、名前がその子になる。 人の名前は固有名詞であるが、同姓同名の人はたくさんいる。人口が多いと同じ名前の人がたくさんいるようになる。 つまり、名前が同じでも、本人とは限らない。違う人である場合もたくさんある。 実体である人間にはそれぞれ名前を付けられている。初めに名前はなかった。 名前は、その人ではないが、名前に慣れるとその人のように思い込む。 人の名前とその画像に当たる言葉(単語)は人間の脳にあり、個人を見分ける(識別する)情報として使われている。 みかんを見てりんごと思わないのはなぜか? みかんを見て、りんごと思う人はまずいない。 なぜ、みかんをりんごと思わないのか? その理由は脳にある。 脳には、みかん、りんご等の情報がある。みかんとりんごは言葉(単語)として、画像と名前が記憶されている。その単語が持つ画像が一致せず、脳が違いがあると判断している。その違いから、みかんをりんごと思うことはない。 もし脳にある単語の画像が同じであれば、みかんとりんごの区別はできない。 もしその画像が反対であれば、りんごがみかんになる。 人々の脳にある物に対する単語(画像と名前)は、言語が同じであれば、基本的に共有される。その共通の単語から作られる文章や考えを、情報として伝え合い、互いに理解することができる理由である。それが言葉である。 単語の持つ可能性の意味 実体を見て、りんごと教えられる時、実際のりんごには色、大きさ、味など違うものがある。りんごは一種類の果物に付けられた総称の意味でもある。 初めに見ている実体を言葉(単語の名前)として教えられるが、経験と共に、その言葉(単語)には新たな情報が付け加えられていく。 絵本を見て本という言葉を教えられても、本には違うものがたくさんある。言葉は実体でないので、地球上にある無数の本を、本と表すことができる。言葉の持つ意味は深淵である。 物は実体であり、五感で存在として認識することができる。 単語(言葉)は、実際に存在する実体ではなく、脳に画像と名前の記憶としてある。その言葉(単語)に新たに学ぶ情報が付け加えられていく。 脳にある言葉(単語)の画像はイメージなので、例えばりんごは大きくすることも、小さくすることも、色を付けることも、ナイフで切ることも、手に持ってボールのように空中に高く投げるなど、どのようにも想像することができる。 このことは、言葉(単語)に意味を持たせることはできても、明確な定義を作ることはできないことも意味する。 その理由は、言葉(単語)は無限に広がる情報を持つことができ、そのイメージは変幻自在に変えることができるからである。 物は存在である、実体であるが、そこに名前と意味を持たせているのは、人間の脳の働きである。人間が物に名前を付けなければ、その存在に名前はない。 母親が娘に 「美味しいりんごだよ、りんごを食べようね。」 という会話をしている時に使われる美味しいという表現も言葉である。 美味しいは、五感の味覚の快い、好きに当たる。まずい、不味いは、不快で、嫌いに当たる。 人の持つ価値観のことであるが、知らない内に言葉と共に子供に伝えられていく。 知らない内に、人が価値観を持ち、それを当たり前のように思ってしまう理由である。 |
| 事実を認識することの意味について 思い付きの記録 5. 地球が自転していることで、次の日に太陽が昇ってくる。 明日がやって来て、今日になる。それは未来なのではない。 地球が自転(回転)しているだけである。 今日が次の日、明日になることが未来であると思っている。 今日が次の日になれば、今日は昨日になり、過去になると思っている。 地球が自転(回転)しているだけである。それに気付かないでいる。 太陽からの光と地球の回転することが、人間の世界に過去、現在、未来があると思わせてきた。 一時間とは地球一回転である一日を24で割ったことから作られた。 時間は初めからあるのではなく、時計による時間は、人間が作った考えに基づいている。自然界や宇宙の在るがままの事実ではない。 * * * 今を生きる 人間は今を生きている。今とは、人間の脳が働いている、現在という意味である。 人は今を生きている。今だけしか生きられない。 自分を含め周りの全ては変わっていき、同じものではなくなる。 変わらないものとして完璧、完全、絶対を求めても、それは一瞬あると思えるだけである。 人間の生涯に良い/悪いはない。 人それぞれの人生があり、人は今を生きている。 * * * 変わらないもの 全てが変わり行く世界の中で、人も変わっていく。小学一年生、二十歳、60歳の頃の自分の外見を振り返って見れば全く違って見える。 しかし、変わらないものがある。 犯罪現場で残された指紋は変わらないと考えられてきた。今ではタバコの吸い殻やコップに残された唾液、髪の毛一本からでも犯罪者を特定する。個人を特定させるものとは、遺伝子である。遺伝子は一生の間変わらない。 * * * 一瞬、瞬間とは、どういう意味か? 証明写真に写っている顔を見た時、自分の顔はもっと良いはずだと思ったことがあるのではないか? なぜか? と考えてみた。 普段見ているのは、一瞬という写真のような顔ではないからだ。 記憶にあるものは写真を撮る時のように瞬間のものではない。 人の見た記憶には、その時に持っていた気持ちや五感からの情報も含まれている。思い出にある美しいという記憶はその時持っていた気持ち、価値観が含まれている。 つまり、写真は対象の一瞬の記録の画像であり、在るがままの一瞬という瞬間を視覚でとらえたもので、人間の五感や価値観を含んでいない。 写真は一瞬をとらえた画像であるが、絵は描く人の目を通してその人の持つ五感からの価値観を含む人間性を表すものが含まれると考えられる。これが、写真と絵の違いを感じるさせる理由ではないか? 人間の記憶の映像は、映画の映像がヒトコマの写真を連続して動かし、連続して見えるのと同じようなものなのか? 目の機能には限界がある。高解像度の映像を記憶に残していたとしても、記憶は段々とぼやけてしまう。時間と共に写真が劣化するのと似ている? 過去は記録としてはあるが、記憶では連続しているように見える、思える。 それは、時間が連続していると、教えられ、間違いがないと思っているからか? 人間には現在(瞬間ではない)しかないように思える。それは、人間の脳が働いているのは、生きている現在だけであるからと考えられる。 映像は、連続した写真である。シャッタースピードを変えて、連続して被写体を撮ることができる。 一瞬、瞬間とは、どういう意味なのか? 昔はフィルム(相当のもの)に光を取り入れるため、しばらく動かないで、じっとしているように言われた。 シャッタースピードはフィルムに光を取り入れるための時間のことである。 一秒を100分の1、1000分の1、と無限に細かくしていくと想像してみる。 実際にはあり得ないが、一瞬という時の意味が見えてくる? 写真の画像は点の集まりである。解像度の高いほど点の数が細かい。高解像度の高い写真ほど目が細かい。原子レベルが最小だろうか? 考える上では、点の面積が限りなく小さい状態を考えることができる。 数学で点とは面積が無い状態を表すという。 一瞬、瞬間とは、時の間が限りなく短い間、つまり時が無くなるほど短い間、時が無いに等しいことを表す? 究極の時間が無いなら、それをどれだけ集めても無いことにならないか? 瞬間をどれだけ集めても1秒にはならない? 時間は初めから無いからではないか? それは考えであり実体ではないからではないか? 全ての言葉は実体ではなく、対象の代わりであると書いた。 言葉は考えである。 点にしても、時にしても、1にしても、人間が作った単語、言葉であり、対象そのものではない。言葉(単語)は、対象の代わり、考える上での便利な道具のように思える。 それが、今までに人間の作ってきた全ての考えが実体ではなく、曖昧になる原因ではないか? 実体になれない、事実ではない理由ではないか? 人間が言葉で作ったもの全ての考えは、対象となるものの代わり、代用として作られているため実体がない。 このため、指導者が自分の考えに間違いがないと信じて行動することは、初めから間違いであり、危険を伴う。が、変化を産み出すものとなる。 存在にかかわる言葉の問題点について シリーズ 45 |
| 4.問い 人間は死んだことがないのに、「死ぬ」ことの意味はどうしてわかるのか? わかる訳がない、と考えてきたが、この考えに、間違いはあるか? 人間が自然界の事実を知らない数千年以上も前から、人間は想像や思い込みで、人間の世界の真実、現実を作ってきた。昔から正しいと教えられてきたことの中にもたくさんの間違いがある。 正しいとは、その時点で、修正の必要がないと考えることで、間違いが無いという意味ではない。 数千年もの間、その間違いに気が付かなかった主な理由は、在るがままの事実を知らなかったことにある。 事実が明らかになり、その情報が理解されるようになると、今までの間違いがが明らかにわかるようになり、修正される。 事実とは、人間の好奇心などにより自然界を探求することの結果として、明らかにされる情報、知識のことである。 具体例 1 以前、人間は死んだことがないのに、死ぬことの意味はどうしてわかるのか? わかる訳がない、と考えていた。 死んだことがないとは、死ぬという経験のことで、死んだら生き返ることがないと、昔から知っていた。 死ぬという経験をすることができなければ、死ぬ意味はわかりようがないと考えたのである。 ここで「考えた」という言葉の意味を知らなければ、そのままわかることはなかった。 ここに、事実が重要な意味を持つことがわかる。 事実が明らかになることで、それまで知らなかった「考える」の意味を明らかにするからである。 この場合、何を知らなかったのか? 脳の存在とその働きである。 科学の一分野である医学の進歩が、人体の頭蓋骨で硬くおおわれた中の脳の働きに気付いたのはおよそ70年前である。それが何かはわからなかったが、人の脳の様々な部分に電気を流すと、様々な違う反応を示したことによる。その研究の結果、脳の働きがわかるようになった。 以前、人は死んだことがないから、わかる訳がない、と考えていた。 人は、死んだ後も、考えることができ、わかると思っていた。 死んだ経験があれば、死ぬ意味がわかると思っていた。 事実とは、自然界の在るがままのことで、真実、現実でもある。 人間には脳があり、脳により考えていることを知らなかった。 考え、わかるのは、脳が生きていて、働いているからである。 数千年もの間、人間は人間にとって「死とは、脳が死ぬことである」ことを知らなかった 以前、脳で考えていることを知らないから、死んだらどうなるかを知ることはできなかった。 脳が死ねば、考えることはできない。自分という存在はなくなる。 この知識はなかった。 この事実がわかるまで、死んでも、何かが残り、生きていると考えた。 わからないから、死後の世界があるのではないかと、想像により、天国、地獄、永遠の命、霊魂不滅などの考えが作られた。 在るがままの事実がわかるなら、その事実に基づいた考え方をすることができる。 事実を知らないために、無いことが作られ、信じられていることに、大きな間違いがある。特定の宗教のことではない。全ての信じる対象は、事実を知らないために作られてきている。 ある考えを正しいと思い込み、信じることは、その考えに疑問を持つことを止め、考えなくすることで、考えないことと同じである。 正しいと信じることは、事実を知らないこと、事実を無視することと同じ意味になる。 人間の考え全ては、事実に基づいたものであっても、人間が作っているもので、事実ではない。 科学は、自然界、宇宙の在るがままの事実を探求し、そこから在るがままの真実、現実の姿を知ることにより、科学は進歩してきた。 人間が、自分の価値観による反応を正しいと思う限り、また感情で判断する限り、その進歩は阻害され、事実を知らないままになる。 思い込み、信じることを止め、在るがままの事実をよく考えてみよう。 そうすれば、人間の世界の真実、現実が見えてくる。 マイケル アレフ 2026年3月 |
| 3.AIの作り出すものは真実、現実であり、 今までに人間が作ってきた価値観を信じている姿こそフェイクである? 昔は物に偽物はあったが、今では画像、映像や音声までが、本物とそっくりのフェイクが作られるようになったと言われる。英語でフェイク、FAKE とは偽物の意味である。 AI で作ったにせよ、本物とは違うという意味でフェイクと言うが、しかし、AI が作り出すフェイクは、在るがままの現実であり、真実であるのではないか? そう考える人はいないのだろうか? 本物とはいったい何を意味しているのか? 同じという同一であると言う意味か? その他のシリーズIII 違うのに同じとはどういう意味。 難しい? 1+1=2 の説明 わかっているつもりでもわかっていない簡単と思うこと の中で、 同じ物は人間の世界には無く、同一という同じものを足しているのではない、と書いた。 一般的に同じとは、同じような物、同類の意味で、同一の意味ではない。 足すことができるのは同一ではなく、同類の意味であるからだと。 今まで人間が本物と考えてきたその考えにこそ、間違いがあるのではないか? 本物とは、絶対に変わらない同一のものという意味であれば、人間の世界に本物など存在しないし、存在できない。 同一の物でさえ、時間の経過と共に変化していて、同一ではなくなっていく。 言い換えると、全ては同一という本物ではなく、似た物、フェイクである。 そんな馬鹿げた話はあるかと一蹴されそうである。 本物とは何か? お宝を専門家が鑑定して本物というお墨付きをもらう。 それはどういう意味か? 本物とは、その物が特定の作者により間違いなく作られたという意味であれば、その通りかもしれない。 しかし、人は、そこにお金に換算した価値があると評価されることに関心を持っている。 本物と願う人は、その物自体ではなく、人間により作られた価値観のことで、本物に付けられたお金の価値に興味があり、それが重要と思っているからではないか? 物のに対する人の価値は変化するが、その本物も変化している。 映像や音声までが、本物とそっくりのフェイクが作られるようになっているが、なぜフェイクと思うのか? 人間はその違いがわかるほど、精密な入力器官を持ってはいない。脳は五感を無視して判断する能力はない。 人間には本物か偽物か、簡単な違いならわかるが、微妙な違いを正確に判断する能力は初めからないのである。 つまりAI の方が、精密な物を作り出す能力がある。 ここで重要なのは、人間の能力の優れている意味は、五感にあるのではないことである。 人間の五感では、AIの自動運転にもかなわない。顔を認識する能力にもかなわない。声を識別する能力にもかなわない。質問に答える、文章を作る能力もかなわない? しかし、人間には考える力があり、その力が生来の五感の能力をはるかに越えるものを作り出してきた。AI が優れていても、それは人間の考える能力の結果である。 人間はそのことに、その違いの意味に、問題の原因に、やっと気付き始めたのである。 どういうことか? 人間は五感で自分の外の世界を認識しているが、五感を通して脳が認識する範囲は基本的に有限であると決まっていて、無限ではない。人間は五感を持ってはいるが、その能力には限界がある。 これが、手品やマジックで、人は簡単に騙される理由である。 目は非常に速く動くものについていけない。地球のように大きなものは全体が見えないし、細菌のような小さいものも見えない。 耳を通して認識できる音の周波数も決まっている。小さい音は聞こえない。 人間には初めから限界があり、限界を越えるものを認識することはできない。今もその生来の能力は昔と大きくは変わっていない? 昔から、人間はその限界のある枠の中で考えてきた。 詳細な事実を知らずに、気付かずに、無いものを作り、在ると感謝し、怖がり、信じてきた数千年もの歴史がある。 AI によるフェイクが、人間の作ってきた世界に間違いがたくさんあるという真実を明らかにしている。 昔、今のように情報が無かったことを考えれば、人間は無知であったため、間違いだらけの世界を作ってしまったことは、仕方のない結果と思えるが、事実を知り、理解することができるようになった現在、人間は、人類は、人間の限界をわきまえ、事実に基づいた考えを持つべきであるのはないか? 今問題なのはAIによりフェイクが作れる時代になったことではない。 問題は、「本物の絵は数億円、コピーである偽物は価値がない」と思い込んでいることに象徴される、人間が価値を勝手に作り、値段をつけ、それが本物で価値があると信じていることである。 価値は人間が作ったものなのに、疑うこともなく、無いものを在ると信じている。 それこそがフェイクではないか? AI によるフェイクを恐れるのは、人間の真実の姿に気付くからではないか? 言い換えるなら、AIのフェイクこそ真実であり、人間の価値観を信じている姿こそフェイクであるのではないか? 人間は無いものを在ることにし、在るもにさえ無いことにする。 信じることの意味である。信じるとは騙されること、考えないでいることで、知的生命体であるべき人間の姿ではない。 AIの存在が、人間が作りあげた人間の世界の間違いを明らかにしている。 それは、人間が人間の真実の姿を知り、価値観を信じることを修正する時が来ているという意味ではないか? 人間の世界と自然界の在るがままの世界では、真実、現実が違っている。 人間の持つ価値観が同じ物でも美しい/醜いと違って見せるからである。 それこそがフェイクの原因である? AI の登場は、人類の在るがままの現実、真実という事実を明らかにする。 人類は、人間の本質に気付き、考え、在るがままの事実に調和した歩みを始めるべき時が来ていることに気付く必要があるのではないか。 AI は人類が作っている科学技術であり、今まで人類が作ったものに問題があるのではない。科学の進歩が問題なのではない。 科学は諸刃の剣なのではない。科学を諸刃の剣にするのは、人間の価値観を信じていることにある。 人間の価値観こそが、全てに良い/悪いという基準を決め、人間でさえ友として大切にし/敵にして抹殺してしまう 諸刃の剣なのである。 マイケル アレフ |
| 2.教育の目的は何か 現在の犯罪が頻発する世界になった原因が教育という、教え育てることにあると思うのは私だけなのだろうか? 動物をしつける、訓練するとは言うが、動物を教える、教育するとは言わない。人間と動物では違いがある。教育という言葉は、人と動物という対象が違うために区別して使われている。 鳥や動物であれば、言うことを聞かせるために、強制して、躾(しつけ)ることが必要になる。飴と鞭が必要になる。 人間も長い間、動物と同じよう扱われてきた歴史がある。 子供は、動物と同じように、強制して、躾や勉強という言葉が使われてきた。 しかし、それは、人類が在るがままの事実を知らずにきたからではないか? 勉強するという漢字から作られた表現には、間違いがある? 勉強する、勉強しなさい等とよく使うが、その言葉の意味は、勉めて強いる、という強制の意味である。 同じことが大人の世界でも当たり前に行われている。 法律で、警察力で、権力で、武力で人間や国を押さえようとすることである。 正義で、押さえようとすることは、知的生命体である人間の意味を理解せず、力で、表面的に強制し改善しようとすることであり、本質的に修正することではない。 修正に一番大切なのは教育である。 しかし、今まで、教育の目的を理解せずに、ただ教え、育てることに重点が置かれてきた。 誰でも二十歳になれば、大人として認められ、大人としての権利が与えられる。これが責任の自覚のない大人が増える背景ではないか? 今まで教育という言葉は、教えることの意味を理解していなかったように思える。教育という言葉に欠けているものがある。 それは、教育に目的がなく、明確な目標がないことである。 教育の目的は何であれ、優越感を満たそうと、一番、一流になり名声、地位、財産を得ることだと思っている人が多いのではないか? しかし、教育とは、情報を与えることにより教え、二十歳という大人に育てることではない。教育という言葉には目的が欠けている。 人間は知的生命体であり、他の生命体とは違いがある。 産まれた時から学習する能力が備わっていて、情報を与えるだけで学び、学習する。 教育の目的は、教え、育てることにあるのではない。 教育の目的は、知的生命体である人間の持つ学習する能力を理解し、導き、考える力を育てることにある。 教育は、自分で考えることにより、人間は一人で生きているのではなく、一人では生きられないという事実を理解し、人間社会に対する責任を自覚し、その責任を自発的に受け入れる大人に育てることにある。 二十歳になれば大人になるのではない。人間社会に対する責任を自覚することが大人になる意味である。 現在、学び、学習し、考えるという能力があるのは地球上では人間だけである。 力による強制ではなく、教育の目的を理解し、認識することが、世界を変える唯一の道であり、人類にとって一番大切なことではないか、 と考える。 マイケル アレフ 参考資料 シリーズ11 「教える、教育する、学習する」の意味について 動物を教えることから見えてくる教えることの意味、気付かなかった間違い? シリーズ14 学習することの意味について |
| 次回 3月1日(日)に予定していた シリーズ48ー5 その2は、 思い付きの記録を優先させるため、4月初めに変更します。 内容: 考えることからわかってきた新たな事実 私、自分という存在の意味 その2 7.知ることとは、情報を得ることと思っていたが、考え直す? 8. 今までの死に対する考えを改める 9. 寿命について その他 |
| 人間の恐ろしさ 具体例 |
マイケル アレフ |