| マイケルアレフの ことばの認識は世界を変える |
| 2月14日(土) シリーズ 48ー5 その1 1. AI の出現により考えるという言葉の意味の修正が必要になった理由 2. 自分とは何か? 自分の存在はなぜあるのか 3. 自分は遺伝子と脳の働きにより作られる 4. 自分の存在は、言葉である単語、文章、考えから作られている 5. 人間の生きることの意味 6. 個人の人生と人類の意味の違いについて 1. AI に出現により、考えるという言葉の意味の修正が必要になった理由 現在に至るまで、人間は考えることができるので、他の動物の犬や猫、馬や牛とは違うと考えてきた。 ところが現在、AIの出現で、その考えに間違いがあり、修正が必要であることに気付き始めた。 AI は人間が作ったプログラムでありながら、言葉を使い、文章を作り、会話の相手をする。車の自動運転もするようになった。 AI は考えているのか? 今までの人間の考えでは、考えていることになる。 ここに考えるという言葉の意味の理解に間違いがあると気付き始めた。 AI は考えているのではない。 プログラムにより情報処理をしているだけであると。 すると、今まで人間は考えるから特別な存在だと思い込んでいたこと、又そう信じてきたことが、間違いであり、修正の必要があることになる。 人間の今まで考えていたこと、考えていることは、プログラムにより情報処理をしているだけなのか? 人類の大半がそうであるように見えてくる。遺伝子により、プログラムにより生きている。 人間はプログラムにより生きている単細胞生物と同じ仕組みなのか? 人間の存在も、遺伝子によるという点では、同じに思える。人間は何も特別ではないと。 そうであるなら、今まで人間は考えるから偉い、特別だなどと考えてきたことが正に、愚かさそのものであることになる。 しかし、人間の考えるという能力は、プログラムによる情報処理だけではない。人間はヒトゲノムから作られ、遺伝子から作られる点では同じであっても、人間は単にプログラムによってによって生きているのではない。 AI の情報処理することは考えることではない。その意味では、人間も考えてはいない。しかし、人間の考えることの一部には、プログラムによる情報処理ではなく、人間が知的生命体である理由があるように思える。 それはAI には未だない。 それは私、自分という存在のことである。 2. 自分とは何か? 自分という存在はなぜあるのか 生まれる前に、自分の存在、意識はなかった。 言葉を覚え、話すようになり、おなかがすいたなどと、自分の考えを言うようになる。 自分の自覚は未だないが、自分の欲求を言うようになる。 人間はその成長する過程のある時点で、自分の存在に気付く。 私がいる。自分がいる。自分て何だろう、と。 気づかないうちに自分がいるようになっている。 考えるとは、新たなものを作り出す脳の働きであると書いてきたが、考えていない段階でも、脳は自分という存在を作っているように思える。 体の機能は全て遺伝子により作られることからすると、自分という存在も、体の一部のように、遺伝子と脳の働きにより作られるように思える。 理由はわからないが、人間の脳には、考えること以上に、新たなものを作り出す力があるように思える。 気づかないうちに自分がいるようになっている自分とは何か? それは意思、意識のことである。 私、自分という意思、意識があるようになったという意味である。 3. 自分は脳の働きにより作られる 無いものをあることにするのは、人間の脳の働きである、と書いた。 自分という存在である意識も、実際には存在がないのに、在ることにしている脳の働きによるものなのか? 体の存在は五感と脳により認識されるが、 自分という存在は、その意識は、何によって認識されるのか? 脳の働きによる。脳の考える働きによる。 では、考える働きは、どのようにして作られるのか? 考えは言葉により作られる。 言葉の元は単語である。単語は対象となるものの代わりである。 代わりとは、実体ではなく、実体などの代用、存在の代わりである。 自分という意識はある。自分は存在していると思っている。 自分がいないことはあり得ない。他の人の存在を五感で認識できる。 皆自分がいると思っている。 しかし、皆がそう信じていれば、それで正しいことにはならない。間違いがないとは言えない。 今まで人類は、事実を知らないことを背景に、存在しないものをたくさん作り、無い存在をあると信じてきた長い歴史がある。 脳死によって自分という存在という意識がなくなる。 それは、自分という存在が、脳によって作られていたからと考えられる。 体は、それを構成する細胞も実体であるが、死によりなくなる。 自分という存在は、実体ではないが、脳死によってなくなる。 自分の存在は脳の中にあることになる。 自分とは、考え、言葉、と同じように脳細胞の中にあるのだろうか? 脳細胞に障害が起きれば、自分という存在に影響が出ることからも、そう言えるように思う。 自分を突き詰めれば、脳細胞そのものにあることになるのか? 人間は同じ細胞から、集合体の心臓、肝臓、腎臓のような臓器が作られる。手や足、皮膚、血液まで同じ細胞から作られている。 単細胞生物も遺伝子のプログラムから作られている。 生命体はその細胞一つまで遺伝子のプログラムである。 自分という存在、その意識は、脳細胞が作り出している。遺伝子のプログラムにより作られている。 脳細胞そのものというより、脳細胞の働きにより、想像で様々な映像を見ることができるように、自分という存在である意識は作られていると考えられる。 全ての存在は情報のシステムの一部でプログラムであり、情報でできているのではないか? 人類は未だ知らないだけで、全てが情報でつながっているのかもしれない。 4. 自分という存在は、言葉である単語、文章、考えから作られている 人間には言葉がある。言葉で話し、意思の疎通ができる。 人間の体の作りに、口があり、舌があり、肺呼吸により、声帯により、音により、情報として言葉を伝えることができる。 空気があり、空気が振動して音の波になり、音を伝える。 耳があり、耳を通して、音の振動が神経により脳に伝えられ、脳がそれを解析し、言葉として理解している。 人間には言葉があるが、情報を伝えるシステムとして、言葉の基本である単語を作っている。 物に名前があり、価値があると数千年もの間、疑問に思うこともなく、当たり前だと思い込んできた。 しかし、実際には、人間の脳が、対象となるものに名前を付け、その画像イメージと価値などの情報を単語とし、記録(記憶)として蓄積し、その記憶した情報を取りだ出し、情報として活用している。 共通の単語を持つことにより、同じ考えを共有し、情報交換することを可能にしている。言葉により意思の疎通ができる。価値が付いている単語もあるため、感情が伴う。これが言葉である。 美しい/醜い、良い/悪い、好き/嫌い、という価値観、正義、平和、平等、人権等に見られる人間の考えは、人間が作ってきた。あらゆる宗教、政治、組織、名称、国でさえ、人間の考えで作られている、 しかし、これらを正確に表現するなら、人間を作っている遺伝子と脳の働きの結果である。 会話により意思の疎通ができるのは、人間の体に話す機能が備わっていて、地球上に空気が振動で音を伝える等の環境が初めから用意されているからとも考えられる。 全てがプログラムされていることになるのか? 私、自分、という考えも言葉で作られている。 デカルトの「我思うゆえに、我あり」という文章の中に、私が思うゆえに私があるというのは、私は考えによって存在しているという意味である。 当時、遺伝子と脳の働きは未だ知られていなかった。 現在、その意味がわかるようになってきている。 ここに使われている「思う」という言葉の意味が、AI の誕生により、より明確になったおかげである。 「考える」は、脳の働きの一部である。 体全てが遺伝子と脳の働きで作られ、運用、管理されている 自分とは、五感で認識できる実体ではない。 言葉による考える働きが、自分という存在、その意識を作っている。 言葉で自分を認識している。 自分は、生きている間、脳が働いている間だけ、存在している。 人間の持つ能力は、自分の能力だと思っているが、そうではない。 人間の遺伝子と脳が作ったものである。 その人間の能力は、初めから、産まれた時から備わっているもので、自分が作ったものではないが、自分のものとして、自分次第で、成長させることのできる、想像を越える可能性を持つ能力である。 人間は、遺伝子により作られた体と脳を使い、事実を知り、自分の理想、目的、目標を作り、自分に与えられた可能性を活かすことができる。 在るがままの事実を知り、理解し、受け入れ、認識することが、自分を知ること、人間を知ることである。 それは、視点を変えると、知的生命体としての人類を知り、人類に対する貢献の意味になる。 5. 人間の生きることの意味 人間は、生きている今が全てである ことに気づいていないのではないか。 人間には、脳が働いている今が全てである。 成長過程でその時、その時で、自分は変わっていく。世界も変わっていく。その時の自分はいなくなり、記憶として残る。 過去はその記録である。未来は今という過程を経た結果のことである。今が未来になる。 自分の物、所有物があると誰でもそう思っている。 自分の物はあるのか? 条件付きでなら、自分の所有物はあると言える。 その条件とは、生きている間のことである。 あると思ってはいても、生きている間だけである。 実際には寿命のある間に等しい。 それは生きている間の所有であるが、それに伴う喜び、悲しみも全てが生きている間のことである。 生きている間だけ、自分がある思っているが、死と共に全てを失う。 命、持っている考え、受けた教育、家族、友人、財産、全てを失う。 生きている間だけ、所有はある。いつまでもあると思っているが、脳死と共に全てはなくなる。 生きている間だけが、人の全てであるという意味である。 生きている間に、人生を楽しむ人生にすることが全てであるように思える。 所有できるのは、生きている間だけであるから、死に際しては、全てを精算し、何も持たないことが望ましいようにも思える。 結婚し、数千万円の家を購入し、子供を育て、その子が自立し、結婚し、孫が産まれ、成長して大人になっていく頃には、その支払いを終えているかもしれないが、この世を去る時期がやって来る。 何のために仕事をしてきたのか? 何のために生きてきたのだろうか? 家族のためか? 個人としては、個人の視点では、よくわからない。人並みでいいと思う? 何を残してきたのだろうか? と思っても、残したとしても、自分の物では無くなってしまう。 個人に大きな意味はないのだろうか? 現在までに数百億の人間が死んできたが、何も残さないで来たのだろうか? そのほとんどの個人を知らない。 現在いる80億人の何人を知っていられるか? その全てが死んでも、記憶に残る人はほとんどいない。その同じ世代の人に覚えられていても、世代が変われば忘れられていく。 その意味では、個人に意味は無いように思える。 確かに、個人には大きな意味は無いのかもしれない。 しかし、 個人には無いが、人類としては、意味がある。 人類としては個人に意味はある。無駄に死んではいない。 現在人類が存在している。 これまで文明が進歩してきたのは、死んでいった人々のおかげである。 6.個人と人類の意味の違いについて 人生の意味はどう考えたらよいのか? 自分の所有物にしたとしても、死と共に全てを失う。 しかし、個人の意味と人類の意味は違う。 個人はそこで終わるが、人類は続くからである。 今まで数百億という人は死んだが、歴史に残る名前は少ない。大半の個人は記憶にも残らない。現在80億以上の人がいても、知ることのできる人は、周りにいるごくわずかな人々である。今後その数が増え続けても、記憶に残ることはない。 何が残っているか? 今までの個人の記録なくても、今も80億もの人間がいて、人類は生き続けている。 高度な文明が作られている。これまでに生きてきた人々の結果である。 個人は人生を終えていき、大きな意味はないが、人類としてはその意味は今も続いている。人類としては生き続けている。文明を進歩させている。 ここに個人と人類の意味の違いがある。 個人の人生は短くても、人類は一万年以上も生き続けてきた。 人間一人にはおよそ6兆の細胞がある。一つの受精卵から作られ、細胞分裂を繰り返し、成長し、新陳代謝によりその細胞は絶えず入れ替わり続けている。 見方によっては、人類とは一人一人の人間から作られ、細胞のように絶えず入れ替わる体を持つ巨人のような存在と考えることもできる。 個人では想像もできないが、集合体としての人類はどこに向かっているのだろうか? ガン細胞のような人間が、人類の健康を損ない続けるなら、人類の未来はどうなるのか? 今は、人間が知的生命体であることの意味が問われている時代に生きているように思える。 次回の予定 3月1日(日) 48-5 その2 7. 今までの死に対する考えを改める 8. 寿命について 9 他 |
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マイケル アレフ |