マイケルアレフの
ことばの認識は世界を変える

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シリーズ48 考えることの意味

2月3日(火) 追記有り

恋が遺伝子によるもので、愛は考えによる理想であるなら、
家族愛、友愛、動物愛などは愛ではないのか? どんな違いがあるのか?


愛は考えることの理想であり、そこに感情が入るなら、価値観の影響が入り込み、愛ではなくなる。感情が伴うと愛ではなく、愛情になる。
愛と愛情の大きな違いは、感情を伴っているかどうかにある。

愛が考える理想の姿であるの対し、愛情は感情により好き/嫌いだと思い込むことが関係している。

感情は人の持つ価値によって変わる。持っている価値は状況によって変わる。価値が変わると、感情も変わる。感情は人の持つ価値観の反応であるからだ。

大好きな人が、大嫌いになるのは、感情で好き/嫌いが変化するからで、
好きである間、愛情はあっても、嫌いになれば、愛情はなくなり、憎しみに変わる。
無関心になる場合もある。

愛情は感情により思うことで、考えることではない。
言い換えると、人間の多くは感情により、AI のように情報処理をしているのであり、理想を追い求めているのではない。

愛は考えることにより、理想を追求することにある。
恋愛、家族愛、友愛、動物愛は全て愛情であり、感情が伴っている。


恋愛の場合は、愛情と言っても、遺伝子の働きにより、異性を好きになるようにプログラムされていることが関係している。
その働きにより好きな人ができ、夢中になると考えられるため、人の持つ価値観による感情の反応とは言えないが、感情を伴う。

家族、友達、動物などの場合、生活を共にすれば、情がわくという表現があるように、
時間を共に過ごし、楽しみ、喜び、苦しみ、悲しみ、労苦を共にすることから、親しみを感じ、絆が生まれる。犯罪を犯す仲間であっても絆は生まれる。
愛情は、親しみ、好ましいと共感するもの、好きという思いなどの価値観から生まれる感情で、好きな間は、互いを引き付け合う。

しかし、感情の問題は、好きが嫌いに変わることにある。
嫌いになると、好きであった時の愛情は無くなり、一緒にいることがいやになる。
愛情が無くなれば、争いが起き、別れることを選ぶことになる場合も多い。

なぜ感情が問題になるのか?

人間は同じ状況が続くと飽きて、新たなものを求める傾向がある。
全ては変化し続けていて、同じ状況に留まっていることはない。
家族も、友人も、その環境も、時と共に変化していく。
それが理由で、その時の事情で、人には楽しい時も、苦しい時も、新たな問題に直面することもある。

飼っている鳥、犬、猫など、初めは可愛がっていても、飽きることもある。
忙しくなる。経済的事情も変わる。そうなれば、世話をするのが大変になることもある。

これが人の持つ価値観の反応である感情が変わる背景である。
人の持つ価値は変わる。それ故、価値の反応である感情は変わる。

AI に感情がないのは、価値観による反応がないからで、AI は価値を知らない。価値観を持つようには未だプログラムされていない。

価値は、好き/嫌い、美しい/醜い、正義/悪、良い/悪いのような、相反する基準から作られる。
AI がその価値を決めるようになるなら、人間以上に独裁的、好戦的になってしまう可能性もあり、恐ろしいことに思える。

人の持つ愛情は、相手に親しみを感じ、好きだということを言葉により思うこと、思い込んでいることである。しかし、好きという思い、愛情を持っていても、結婚し幸せになったカップルのおよそ3分の1が離婚に終わっているのは、その理由の一つとして、好きという感情が状況によって変わることを認識していないせいかもしれない。

感情は人の持つ好き/嫌いに基づく価値観が関係する。好きな間は幸せでも、嫌いになれば不幸になることもある。

人間、夫婦、子供、友人、動物など、誰に対しても、好き嫌いという自分の感情により自分が変わってしまうのではなく、人生という長い目で、相手のことを考えることが、必要なのではないか。

この感情の暴走を制御する働きが、理想を考えることの働き、愛であるように思える。



これまで、人間が感情的、情熱的であれば、感動は大きく、素晴らしいと思うことができるため、人を動かすには、感情に訴えることが大切だと思っていた。
しかし、それでは何かがおかしい、どこかが間違っているのではないか?
その理由がやっと分かってきたように思う。

感情に訴えれば人は変わるかもしれない。しかし、感情に訴えるとは、好き嫌いに影響を与えることではないか?
感情に働きかけ、人を動かすことは、人の持つ優越感を満たすように働きかけることに思える。

感情に訴え、好意を得る、賛同を得るとは、人が望んでいるものを与えることではないか?
つまり、楽しい、面白い、楽ができる、おいしい、金が儲かる、美しくなれる、などの欲しがる物を与えることではないか?


それは、人を騙し、信用させ、金を奪うことに似ている。

人間の考える能力は創作に使われてきたが、その創作が、有名になりたい、優越感を満たしたいという、利己的、金儲けのために使われ、人の価値観、思い込みに利用されているように思う。


なぜ人の多くは、感情が大切だ、と思っているのか?

それは、青春時代の夢のような素晴らしかった、あの時の感動をもう一度経験したいという願いが、いつまでもあるからではないか?

若い時には、誰でも幸せになりたいと願っている。
幸せとは人によるが、好きなものが欲しい、手に入れたい、所有したいと、願い、思い込んでいる価値観のこと。
幸せを手に入れると、幸せは消えて行ってしまう場合が多いのは、その幸せが、感情で作られた一時的な価値観であるから。

経験を積み、高齢者になった人でも、若い頃の思い出は今もある。
会うことがなければ、年老いた今ではなく、若いままの美しい人の記憶はそのまま残っている。
若かった時に持っていたその時の感情は今も記憶に残っている。

高齢になるにつれ、老化現象のためか、記憶は薄れ、感情的になることも少なくなっていく。

答えが在るとは思わないが、人間の、人類の理想を考えるために、考える力を行使することが、知的生命体の意味に思える。

2月3日(火)

人間の脳は 違いを認識する。その違いに価値を付けて評価、判断するようになる。それが価値観である。

この違いに価値を付けることに、個人の好き嫌いが影響を与えている。

違いに価値を付けないようにすること、またそれを中和しようとする力が、考えることの働きによる考えることの目的に思える。

それが知的生命体である人間の、理想を考える働きと表現した「」という言葉の一面であるように思える。



次回の予定 2月15日(日
 シリーズ48ー5  考えることの意味のまとめ



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シリーズ48-4.考えが抑制 (制御) される?
  * 考えは抑制されているのか? 遺伝子、情報伝達物質、他

考えることを抑制しているものには、遺伝子、100を越えるという情報伝達物質のホルモン、体の作り、病気など、たくさんあると思っていて、考えることに影響を与えるものというテーマで考えようとしたが、基本的なことに修正が必要であると気付いた。

考えることは重要なテーマではあっても、その前に、考える上で人間について見落としていることがあると思うからだ。

2026年
1月25日(日)

針の先程の大きさの受精卵からおよそ10ヵ月で人間は新生児として産まれる。
新生児に自分の意思はない。体の全てはその受精卵から、その細胞にある設計図である遺伝子の指示により、細胞分裂が行われることによって作られる。

目、耳、鼻、口のある顔、頭にある脳、骨格、血管、臓器、神経、手足、胴体など全てが人間の遺伝子の設計図により、人は同じように作られ、同じように見える。

人間は、遺伝子により新生児が作られ、産まれる。その新生児に意志はない。産まれるまでの過程にも意思はない。脳は未だ白紙の状態である。

人間は人工知能のAI と能力と比べるようになったが、人間は元々プログラム、ヒトゲノム遺伝子により作られている。

例外はあるかもしれないが、人間だけでなく、単細胞生物から、虫、魚、鳥、動物など全ての生命体はそれぞれの遺伝子から作られている。

人類はAI を作る技術を持つようになったが、未だに一つの細胞を作る技術を持っていない。

生命体にある遺伝子を見つけ、研究し、考え、遺伝子であるプログラムを解析、解読するようになり、医学に応用するまでになっているが、なぜそのプログラムがあるのかはわかっていない。

人間だけでなく生命体全てがプログラムで作られていることの意味を考えてもわからないからなのか。

人間は、生まれてからの環境からの教育、持っている学習能力により言葉を覚え、話すようになる。言葉を使うことができるようになり、情報を収集し、人と会話し、情報交換するようになる。
置かれている環境から教育を受け、情報を学び、蓄積し、学習している。

この全てを人間は、考えることだと思ってきたが、このプロセスは、人間、人類の作ったAI とそっくりだ。

人間は自分で考えることにより、自分の意志で決めているように思っているが、実際には遺伝子のプログラムによって作られ、そのプログラムによって動いている。遺伝子の影響を受けているのでない。他の生命体と同じようにプログラムにより作られ、生きている。

人間は、言葉により考える能力があるので、他の生命体のようにプログラムによるのではないと思ってきた。しかし、AIの情報処理が示すように、考えなくても、言葉を使い、会話し、反応することはできる
人間もその点では、他の生命体と同じようにプログラムで動いているように思える。

AI によるロボットは進歩し、ますます人間のように見えてくる。人間のように生命体ではないため、寿命はなく、進歩し続け、人間の能力を多くの面で越えるようになるのかもしれない。

しかし、ここに質問が提起される。
AI は自分のプログラムを自分で変えることができるようになるか?

人間は、自分の設計図であるプログラムの遺伝子を発見し、研究し、解析し、解読するようになり、医学に応用し、部分的ではあるが、自分の設計図である遺伝子を変えるまでになっている。
ただし、生命体がプログラムから作られている理由は、今もわかっていないし、なぜプログラムがあるのかもわからない。

現在に至るまで人間は、わからなければ事実を知らないままにし、神様が作ったと信じ、わかったつもりになり、現在に至るまで、それで済ませてきたという歴史がある。

しかし 今は、わからなければ、わからないと課題として、研究の対象にする時代である。
信じることは、無いものをあるとすること、在るものを無いことにすることで、考えないこと、考えることをあきらめ、止めることである。考えていないなら、騙されていてもわからない。

ここに、現在存在する人間が、今までの人間との違い、人間が知的生命体である理由がある。それは「考える」ことの意味がわかってきたことにある。

今までにも考える人はいたが、多くの人々は現在に至るまでの長い間、AIの情報処理のように、考えなくても、言葉を使い、会話し、反応してきた。
人間の多くは、この点において、他の生命体と同じように、遺伝子のプログラムにより生きてきたように思える。

今でもそう考えられる背景がある。
以下は、人間がプログラムによって生きていることを示す一つの例である。

日本語に「」という言葉がある。英語ではファーストラブ、初めての愛と表現するが、この愛という言葉の使い方、考え方に修正が必要である。
恋は愛ではないからである。
恋は遺伝子の働きであり、人間はAI のように言葉を使い表現はしてはいても、考えているのではない。

青春時代は夢であると表現されるのは、遺伝子によるプログラムで動いていて、言葉による情報処理により、思うことはできても、考えているのではない。

異性との違いを意識することは、人によっても、育つ環境によっても違うが、幼い時期からあるように思う。
子供、大人へと変化していく過程に、脳と体の成長がある。体が大きくなっていくのは細胞分裂と新陳代謝によると思うが、そこに自分の意志はない。

人間の体の成長だけでなく、異性に引かれ、好きになり、恋に落ちるのも単に自分の考えによるのではない。遺伝子と脳の働きにより作られるホルモンなどの働きによる。気付かなくても、基本的に皆その遺伝子の働きから、異性と結ばれ子孫を残す定めにある。人間はそうプログラムされている。

思春期を迎える頃には、全てが新鮮に感じられ、体も大人のように変化する。人は異性に引かれ、憧れ、好きになり、初恋を経験する。夢の中にいるかのように、自分でありながら、自分ではない。それは恋と呼ばれるが、遺伝子と脳により、異性が互いに引き合うようにプログラムされているからだ。

思春期には、全てのことが新しく、新鮮で、やること全てが新しく感じられる。
初めてであるから、忘れることのできない程の特別の経験となることは多い。
青春は美しい。美しいのは、全てが新しく、新鮮なものであるからだ。夢の中にいるような素晴らしい時期である。

これは、人間が言葉を使い思うことはできても、考えていない例である。
考えるという言葉の意味の理解に修正が必要であると考える理由である。

若い時期には、遺伝子そのものの働きだけでなく、それに加えて、人間の世界からの価値観により判断するよう働きかけ、環境からの影響もある。



人間が考える前に、認識する必要があると思うこととは、考えることには、遺伝子の影響を排除することはできないにしても、人間には独自のものを新たに作り出すことができることである。

考えるという基本的な意味は、遺伝子の影響がら解放され、その影響を受けずに、好き嫌いを越えて、在るがままの事実から、自由に考えることのように思える。

置かれた環境から作られた常識のような価値観で判断することではなく、地球上の人類という視点から、さらに宇宙に存在する知的生命体としての視点で考えることのように思える。

人類は長い間、考える力により、事実に基づく理想が必要であることに気付き、それを探し求めてきた。その表現が、人間の考えることの究極にある理想、「愛」という言葉ではないか。

愛することに、人の感情の好き/嫌いに影響されるなら、偏りが生じる。
愛とは、価値観を越えた考える力から作られる理想の在り方を表す言葉である。
それは、人類が長い間求めてきた無私の愛、人間愛、人類愛、博愛、アガペー愛などの言葉に示される意味で、言葉により考える力を持つ知的生命体全ての究極の理想の考え、認識を意味するように思える。

愛とは、遺伝子のプログラムではなく、知的生命体である人間の考えが作り出す、究極の理想の姿を意味する表現である

知的生命体である人間の、人類の存在する理由は、優越感を求める価値観による判断ではなく、考えの究極にある愛という理想を求めて、考え続けることにある。


マイケル アレフ 2026年1月


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シリーズ48 考えることの意味

相反する考えが生まれる背景 シリーズ47

存在にかかわる言葉の問題点について  シリーズ 45 

科学の進歩と人間性の進歩に大きな違いが生じた理由 シリーズ26

シリーズ 30 一つの結論

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