マイケルアレフのことばの不思議な世界

古代文明、人類の歴史、遺伝子、から見えてくる未来
人類の未来は単にあるのではなく、人類が作っていくものである。


1. 古代文明と人類の歴史
2. 地球外生命体の記録?
3. 遺伝子はどう関係するのか?


1. 古代文明と人類の歴史

個人的に古代文明の遺跡に関心があるのは、その時代に現代人でも作ることが困難に思える建造物がたくさん存在していることである。

エジプトのピラミッド、イギリスのストーンヘンジ、イースター島のモアイ像、ナスカの地上絵などが良く知られている。

巨大な石をどうやって切り出し、運び、加工し、並べたのか。
地上からではわからない、空から見ないとわからない巨大な絵をなぜ、どうやって描いたのか。

今から約6000年前に人類の四大文明が始まったとされる。それほど昔から高度な技術が使われていることを示す建造物が存在していたことは驚きであり、大きな謎である。ロシアにも古代遺跡が見つかっている。

6000年も前から高度な文明はなぜあるのか?

ところがそれよりさらに6000年前の遺跡が発見された。
トルコのギョベクリ・テペ遺跡は1995年から2014年にドイツの調査隊が発掘し、その近くにカラハン・テぺと呼ばれる遺跡も発見され、発掘が続いている。
その遺跡から明らかになってきているのは、人類の四大文明の歴史より6000年も前に人類の古代遺跡が存在したという事実である。
紀元前12000年頃には人類の文明はすでにあった。

いくつもの古代遺跡と、これから新たに発見される遺跡とその研究から、今までの人類の歴史は大きく塗り替えられることになる。

古代文明から何を学べるのか?
全ては情報を伝えていると書いた。情報はあってもそこから何を学べるかは人による。関心がなければ、猫に小判と同じ意味になる。

人類の歴史にさえ大きな修正が必要になることは、人類にとっては非常に重要である。今まで正しいと信じていたことが間違っていたことになる。

事実とは在るがままで変更はない。大自然は在るがままで変更はない。大自然に変化に見えても、変更ではない。

しかし、人間の世界の事実は、それが正しいと認められ、受け入れることのできる対象であっても、その時点でという条件が付く
なぜなら人間の世界の事実は、人間の解釈、考え、思い込みが伴うためで、それが理由で間違っていることもある。変わり得る可能性があり、間違いないと信じるものではない。

正しいとは、その時点で修正の必要はないと考えることである。

古代に高度な文明があったことから、地球外生命体が人間に情報を伝えたのではないかと考える人はいる。
人間は初めから知的生命体であったのではないか、地球外からきたことを意味するのではないか、と考える人もいる。
その指摘が意味しているのは、地球は大昔に地球外生命体が新たな新天地として移り住んだ場所である可能性である。

その地球外生命体は人間を作ったのか? その生命体が元々人間だったのか、又は人間の先祖だったのか。

人類の起源の考え方に修正が必要になるのだろうか。
以前は人間の存在は創造説、進化論が主流だったが、これからは地球外生命体が主流になるのだろうか?

現代の高度な科学技術の進歩により、地球を宇宙から詳細に見ることができ、情報収集と分析が人工知能により行われ、地球上に存在する更なる遺跡の発見により正確な情報が出てくることが期待される。


2. 地球外生命体の記録

神という言葉は大昔からわからない存在を表す表現である。それが何かを正確に答えられる人はいない。わかれば神ではなくなってしまうからである。

聖書の神は人類に大きな影響を与えてきた。

創世記の記録から読み解く神の真実の姿」の中に、この点に関して説明を書いたが、今回その神という言葉を地球外生命体に置き換えるとどうなるかと考え、以下に示した。

創世記1章26,27節の記述を見てみよう。

地球外生命体は言った「われわれのかたちに、われわれにかたどって人を造り、これに海の魚と、空の鳥と、家畜と、地のすべての獣と、地のすべての這うものとを治めさせよう」

地球外生命体は自分のかたちに人を創造した。すなわち、地球外生命体のかたちに創造し、男と女とに創造した。

この言葉はそのまま真実を伝えていたと受け止めることはできないだろうか。
人は地球外生命体のかたちに創られた。つまり、ここでいう地球外生命体は人類と同じかたちの存在 ・・・「人間」であったと。

ここでの表現には何の解釈もいらない。そのまま真実を伝えていたと受け止めることができるのではないか。

地球外生命体のかたちに創造されたのは男と女である。それ故、自分のかたちである地球外生命体には男と女もいたと受け止めることができるのではないか。


聖書の神は創世記で天地の創造者として表現されるが、その実体が何かは明らかにされて来なかった。
人間アダム、エバを創り、ノアの神であり、アブラハム、イサク、ヤコブの神、イスラエル国家のダビデ王、栄華を極めたソロモン王の神、ユダヤに生まれたイエス・キリストの父なる神である。
しかし、その神が何であるかはわからなかった。追及する対象にもならなかった。

その神は人間アダムに対して、善悪を知る木の実を食べてはならないという命令を与えたことから、自ら失敗を犯し、人間の歩みを修正しなければならなくなった。
その修正の歴史がイエス・キリストに至る聖書の記録であるように思える。
神が全知でも全能でもないことを理解できるなら、それこそが真実であるかもしれない。

正しいからと信じることは間違いである。
第一に、正しいとはその時点で、その場所でという一定の枠において修正の必要はないと考えることであり、前提に条件がある。
第二に、信じるとは疑わずに受け入れることであり、騙されていてもわからない。
考えるとは可能性を認めることであり、信じるとは可能性を否定することである。

可能性を信じるという表現があるではないか?
その表現は間違いである。
可能性があるのは、考えるからであり、信じるとは間違いはないと可能性を否定することである。

地球外生命体である可能性があるのは考えることであり、真実と証明されたわけではない。


3. 遺伝子はどう関係するのか

今、人類は遺伝子の存在を知り、部分的に手を加え改造するまでになったが、その歴史は始まったばかりである。
少なくても今までは遺伝子の言いなりだった。
人類はそれを変えることができる時を迎えたということか。

今まで、子孫が生まれることは、生まれた子を死ぬ定めに置いたという意味でもある。
遺伝子の指示のまま数百億という人間が生まれては死んでいった。
仮に人間が地球以外から来た生命体であれば、失われたのは数百億ではすまない可能性もある。

今までの人類は何をし、何を残してきたのか?
人類の記録と今ある世界を残してきたと書いた。

人類は子孫を残してきたが、それは遺伝子の働きが大きいと考えるとも書いた。
だがそう書いた時、一つ重要なことに気付かなかった。
それは数百億という人の命を通して遺伝子が残されてきたことである。これこそが人類が存在してきた理由かもしれない。

現在、人類は自分達も絶滅種になり得ることを知るに至ったが、それは人間の考えにすぎない。
遺伝子が生き残る方法は、遺伝子の中に既に組み込まれているのではないか。
ヒトゲノム遺伝子にとって、人間の、人類の数は問題ではなく、人類が絶滅しても関係ない。人間である必要はない。その遺伝子を受け継ぐ生命体が存在することに意味があるのではないか?

未来に何を示しているのか?

人類が他の新天地を求めても、人類の未来には同じことが待ち受けていることになりはしないか?

人間が変わらない限り、人類が変わらない限り、人類の未来においても再び争い、戦争が始まることになるのではないか?
今までの人類の存在の意味、意義はどこにあったのか?

遺伝子の問題なのか? 

ヒトゲノム遺伝子は人間になる遺伝子ではない、と書いた。
人間社会が産まれた子を育て、教育し、自分から学習するから人間になる。人間がその遺伝子を受け継いでいるから人間になり、人類に育った。

ヒトゲノムは人間であることを意味していない。
それは高度な知能を持つ生命体に成長する可能性持つ遺伝子である。人間はその遺伝子により人間になり、人類として存在している。なぜ人間がその遺伝子を受け継いだのかはわからない。

このことは、人間の起源がわからない理由を説明しているように思える。

この事実が示しているのは、自分という存在に気付くことが、新たな人間の社会を作る機会にすることができるという意味であるように思える。

人類の未来は、人類の意思で作れる、決められるということを意味しているのではないか。
人類の意思で人間のあるべき姿を考え、その社会を作ることができる。

今まで人類が築いてきた多くのものに想像によるものがある。価値観がある。それを修正して、出直す機会にすることができる。
今こそ、人間のあるべき理想を考え、それに近づく努力をすべき時であると言えるのではないか。

その目的は人間の社会の価値観を修正し、大自然から学び、大自然と同じような価値観を作り、持つためである。
優越感を捨て去ることにより、謙虚になり、知的生命体としての人類の存在を目立たなくし、宇宙の表に出ないほどに、あたかも存在しないかのようにすることかもしれない。

現在の地球は人間が増え、人間による核兵器の脅威にさらされ、人類の滅亡、絶滅が危惧されている。他の天体に移住する必要に迫られている。
しかし、人間は変わっていない。今も戦争し、殺人を犯している。自分勝手な世の中である人間が宇宙に出て行って新たな文明を作り始めても、結局、人類の未来は破滅に至るのではないか。

人類の歴史はそれを繰り返してきた可能性があるのかもしれない。人類の歴史は数万年ではなく、数億年という歴史があるのかもしれない。

人間はその存在の意味を深く考え、人間に適応し、未来においてヒトゲノムの修正も視野に大自然の中に存在することの意味を実現していくことが必要ではないか。


マイケル アレフ
2023年8月記