マイケルアレフのことばの不思議な世界
「ことば」の認識は、世界を変える シリーズ 30 一つの結論
「ことばの認識は世界を変える」シリーズを書き、今回、書いた内容を読み返して得た一つの結論(一部)を以下に書いた。実に簡単で明白なことのように思えても、人類は今まで気付かなかったのではないか。
その内容は重大な変化をもたらす可能性があり、人類が抱えてきた問題の根本原因を指摘しているように思える。
人間をとりまく自然界に美しさはない。幸せもない。敵もない。
では、なぜ人間にはあるのか? ・ ・ ・ その問いに対する答である。
今に至るまで、人間はこれらがあると思ってきた。
しかし、それは、存在があるのではない。
あるという思い込みを、ことばと思考により作ってきたからである。
この結論の意味を理解し受け入れることは、常識の枠を広げ、人の持つ認識、価値観を修正することを意味するほど重要であると考える。しかし、それは同時に人類に過去の歩みを改めるという非常に過酷な問題を突きつけることになる。
思い込みとは何か?
思い込みは、脳の機能の一部としての働きである。
無いものでも、あると思い込むと、本当にあるように思えてくる。思い込みは、信じることと同じ働きである。信じるとは、思い込みのことである。思い込みにより、間違いを信じるなら、騙されることと同じである。
存在は無くても、あると信じればあることになる。今まで、人類は無いのに、在ると信じてきたものはたくさんある。
天国も地獄も信じている人には今でも在るものである。神様も信じている人には存在するものである。悪魔も悪霊も信じている人には存在するものである。死後の世界も永遠の命も信じるなら存在することになる。
自然界に美しさはない。幸せもない。敵もない。
しかし、人間は美しさも、幸せも、敵もあると思ってきた。あるのは当たり前のこととして受け入れ、信じ、疑うこともなかった。
自然界には無いのに、人間には、誰もがあると思っている。
自然界に美しさはない、とはどういう意味か?
地球上に生きる生命体は、人間を除き、高度な知能とことばを持っていない。つまり人間のように考える力も感情もない。美しいと観賞する能力はない。考えることもできないという意味である。(ただし、あると信じている人はいる。)
人が、花は美しい、素晴らしいと思っても、花は自分が美しいことを知らない。知ることはできない。人間以外の生命体全ては人間のような認識能力はない。生命体でない物質であれば認識できないのは明らかである。(ただし、思い込みにより、物質でできた物、偶像を作り、神様として拝んでいる人はたくさんいる。)
これが人間をとりまく自然界に美しさも、幸せも、敵もないという意味である。
自然界に美しさはないのなら、人間はなぜ自然界に美しさがあると考たのか?
それは大昔からのことなので推測になるが、人間は自分達に高度な知能があることを知らなかった。動物との違いもわからなかった。自然界は自分達と同じだと考えていた。そこで人間の持つ価値観を自然にまで広げ、人間に美しいなら、動物もそう思っていると考えたのではないか。
情報が非常に少なく、わからないことはたくさんある中で、人類は自分達の知力で、全てを考えるしかなかった。現代のような現実、真実を知ることはできなかった。答を探しても、答はなかった。わかるようになるまでに何千年という時間を必要とした。
それが理由で、人類は思い込みにより、答を見つけてきた。その代表は神であった。わからないから恵みをもたらすもの、災害をもたらすものを神にした。全ては神が作ったと思い込めば、全てをうまく説明できた。
現代のように科学技術、医学はなく、遺伝子、脳の働きも全く知らない時代であれば、それしかなく、それを受け入れる以外に選択肢はなかった。
人類は遺伝子を発見し、解読し、応用するまでになった。今後の科学技術の発展がどこまで続くか、人類の未来がどこまで続くのかはわからない。人類の起源を突き止めることができるようになるかもしれない。しかし、未来はわからない。
現在、重要な課題に思えるのは、人類の科学技術の進歩と共に現実という真実が理解できるようになってきていることである。素晴らしいと思える一面ではあるが、反面それは人類が昔の価値観、認識には戻れず、昔の認識のままではいられないことを意味している。そこに人類の存続が関係し、問われていると考える。
前回に出した課題の意味を参考として書いてみた。
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人間は美しさがあると思っているが、美しいと感じても、美しさはない。
花は美しいと感じても、花は自分の美しさを知らない。きれいな鳥がいても、鳥は自分がきれいであることを知らない。アゲハ蝶が舞う様子は素晴らしいと感じても、蝶は自分の美しさを知らない。
自然は自分が美しいことを知らない。自然界に美しさはない。自然はあるがままである。しかし、人間は、自然界に美しさはないのに、美しいと感じている。
美しさは、思い込みである。幼い頃より、美しいと思うように教育され、そう思い込むようになった。
反対の醜いも思い込みである。
ゴキブリは醜い、恐ろしいと思う人はいるが、ゴキブリは自分の存在さえ知らない。自然界に醜さはない。
見た目に汚い、気持ち悪いと考えていたら、医者を目指すことも、緊急医療に携わることもできない。汚い、気持ち悪いは、人間がそう思い込んでいることから生じる。
汚いという感情が思い込みにより作られているから、学習により考えを修正することができる。
* 正しいと考えてきた正義は思い込みであり、実際は争いの原因、力を求め、固持する理由である。
自然界に正義はない。人は正義があるかのように教育されてきた。
小学生の頃、正義の味方に憧れた。ヒーローには弱い人を助け、悪い人をやっつける力があった。力があるから正義が成り立つことに気付かなかった。
正義は力の象徴である。全ての国家が力である破壊力を追い求める理由である。今では人類を滅亡させる以上の核兵器が保有されている。
自然界は弱肉強食だから、人間も百獣の王ライオンのように強くなることが大切だと教えられた。それが思い込みとなって優越感を求めるようになった。人間はあらゆる分野で優秀になり、一番になることが大切だと思っている。間違ったことを教えられ、長い間、それが正しいと思ってきた。
しかし、ライオンに百獣の王という意識はない。自然界に優秀はない。競争はない。一番になりたいと考えることはない。
ライオンがシマウマを襲い、殺して、その肉を食べている。映像で見ると「可愛そうだ、残酷だ」と感じる人がいる。それは間違った教育の結果に思える。
ライオンもシマウマも残酷の意味を知らない、知ることもない。争いではない。そこに憎しみはない。
人類は想像できないほどの数の動物を殺して食べている。人間は残酷になれる。人をいじめる。人間は利害関係から人を憎み、殺し、敵にして戦争もする。
自然界には憎しみはない。敵はない。正義はない。あるがままである。
人類は、ライオンは百獣の王であるなど、自然を人間の世界に当てはめて考えてきた。しかし、人間の世界は大自然の一部ではあっても、高度な知能により作られた別の世界であり、あるがままの自然界とは違う世界である。
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感動するのは人の心の反応であり、対象は思い込みで作られる。
自然界には感動の理由となる素晴らしいと感じるものがたくさんある。
それは人間にとって感動になるが、人間以外の生命体にとって感動とはならない。自然界に感動はない。高度な知能とことばを持つ人間であるから、そう感じることができる。視点も関係するが、それは人間であることの素晴らしさを意味しでいるように思える。
* 幸せでいられるのは、対象があるからではない。幸せの多くは思い込みである。幸せは自然界にはない。自然はあるがままの世界である。
幸せが持続しない理由が二つあることを書いた。
人間の持っている飽きるという性質で、満足を持続させることが難しい。全てが時と共に変わって行く。幸せの対象があるとしても、同じ状況ではいられない。
それでも、どう考えるかで、幸せでいることはできる。
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「敵を愛する」という表現には誤りがある。正しくは、「敵を作ってはならない」であるべきだ。
敵も悪人も本来いない。敵は自分の中、人間の心にある。人間の想像力、感情、状況が勝手に理由を見つけ敵を作り出す。法律違反、ルール違反の人、犯罪者はいる。しかし、悪人はいない。敵はいない。
悲惨な結果をもたらす戦争はしてはならない、なくさなければならないと多くの人は考えている。戦争が悪いと。しかし、戦争が問題ではあっても、戦争は結果であり、原因ではない。起きた原因は人間にある。人間が互いを敵と考え、憎しみを増幅させ、滅ぼす口実を作るからである。戦争を始めるのは人間である。人間が思い込みにより、正当に思える理由を作り、正義の名の下に正当化する。
人間は敵にも、味方にもなる。友にもなる。考え、価値観による。
存在は無くても、あると信じればあることになる。今まで、人類は無いのに、在ると信じてきたものは数多い。
天国も地獄も信じている人には今でもあるものである。神様も信じている人には存在する。悪魔も悪霊も信じている人には存在する。
政治理念、哲学、宗教もそれが思い込みにより理想像として存在し、人を動かす力になる。人間に人権があると思い込めばあることになる。
しかし、数千年前からのその価値観は争い、戦争の原因、互いを敵にする理由でもある。
幼い頃より教育されれば、それがどんな宗教でも、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、仏教であっても、それが当たり前のものとして受け入れられる。つまり正しいものと信じているのは教えそのものではなく、生まれた環境で何を教育されたか、思い込みを作られたかにある。単に生まれた環境の違い、人種、民族、地域、国家などの違いで、教えられる内容が違い、信じる内容が違ってきて、争いの原因になることは避けなければならない。思い込みにより、間違いを信じていることは、騙されていることと同じである。
無くても、あると思えば、あると思えてくる。幼い頃から教えられればそう信じるようになる。このことを理解できれば、問題を克服することは可能かもしれない。
敵を作らないためには、古い価値観を見直し、修正することが必要である。
人類が基本的な人間としての共通の考えを持つためには、思い込みによる弊害を無くすことが重要であると考える。
この考えに至った背景、道筋はこのサイト、ことばの不思議な世界の中に全て書いてきた。詳しく知りたい人はシリーズの初めから読むことをお勧めする。
マイケルアレフ 2021年9月
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