マイケルアレフのことばの認識は世界を変える 人類の存続に関わる? 相反する考えが生まれる背景 * 違いはなぜあるのか? 人間は五感により存在があることを知るようになるが、その過程で五感からの入力により、脳が同じか、異なるかを判断している。人間の脳には、その違いに気付く力がある。 全ての人が同じように違いに気付くのではないが、気づいた人は情報を共有することにより、他の人もその違いを学ぶことができる。 例えば、眼は、形、大きさ、色、などを知る入力器官であるが、物には、様々な形、大きさ、色があることに気付く。 親を初め学校教育などにより、その情報は提供される(教えられる)。 大きい、小さい、長い、短いなどを学習により、当人が気付かなくても、その違いを学び、活用する。 教えられるにしても、違いに気付くのは、脳の働きに、比べる、比較するという機能があるからである。 違いに気付くことから、人間は言葉により、比べる、比較するようになり、物にたいする値を表す価値を作り、それを基準に評価し、選ぶという選択、判断をするようになるように思える。 人間の持つ良い悪い、美しい醜い、楽しい悲しい、幸不幸など全ての相反する認識表現は、この脳の働きから作られてきたのではないか? これが人間の世界の全てに優劣を付けようとする背景、また全てを勝ち負けで決めようとする理由ではないか? 人間が優越感を満足させようとするのは、この比較することにあるのではないか? 人間の関わるもの全てに競争がある理由は、比較することにあるように思える。 学業では成績一番を目指す。スポーツては勝ち負けを決め、一番優秀なのは誰かと決めようとする。政治の世界でも多数決で勝ち負けを決めようとする。経済の世界も競争の世界である。 勝つことに、なぜそれほどまでにこだわるのか? * 太古の昔に自然界から弱肉強食という考えを作り、見習ってきたからか? 自然界には強いものが勝ち、弱いものは負け、食べられてしまうという弱肉強食の世界があるように見える。強くなければ、負けてしまう。 生き残るためには、勝たねばならない。強くなければならない。 以前、百獣の王ライオンが強さの象徴に思われていた。 誰もがスーパーマンのようになりたいと憧れた。 勝つため、優秀な人間になるために、力を求めた。 勝ち組になるために、幼児教育、高等教育が重要になった。より良い高校、大学へ、より良い会社に入るために、富と名声を得るために、優れているという力が必要と考えられた。 これが優越感を満たそうとする背景に思える。 しかし、この人間の考えのどこかに間違いがあるのではないか? 百獣の王と言われたライオンは絶滅危惧種になっている。 強い武器は人類を滅亡させる力になっている。 人間は強いものが勝ち、弱いものは負けると考えたが、その考えには誤りがあるのではないか? 自然界には強い、弱いはない。が、人間にはあるように見える。 なぜあるように見えるのか? 人間には違いに気付くことから、比較するようになり、評価し、判断するようになったが、知らないこともたくさんあるのに、気付かずに、間違った考えも作られてきた。 自然界には人間の世界にある勝ち、負けはない。 美しい/醜いはない。良い/悪いはない。 虫、魚、鳥、動物などの生命体は、生きるために他の生命体を殺し、食べているが、殺すことに、人間の持つ敵意、憎しみ、殺意などの考えはない。 その生命体は遺伝子、プログラムによって生きているのであり、基本的に人間のような考える力はない。 人類は、最近まで、生命体が遺伝子というプログラムによって作られていることを知らなかった。人間もヒトゲノム遺伝子により作られていることを知らなかった。 人間と他の生命体との違いは、遺伝子の違い、プログラムの違いにある。 この事実(遺伝子のプログラム)から、人間が他の生命体より優れていると考えることは、間違いであることに気付く人はいるのではないか? 優れていると考えるのは、人間の評価、判断することから来ているが、その能力は人間が自分で作ったものではないからだ。 人間の評価、判断する基になっている価値観は、認識の一部として作られている。それは、外にあるのではなく、人の心、認識として、脳による考えから作られている。 美しい/醜い、良い/悪い、楽しい/悲しい、善/悪、幸せ/不幸、難しい/易しい、複雑/簡単、戦争/平和、与える/奪う、賛成/反対、勝ち組/負け組など全ては、考えとしてあり、人間の評価、判断から作られている。つまり、その考えは、比較しなければ、存在しないもので、実体があるのではない。「無いものを在ることにする」人間の脳が作った言葉による表現である。 五感により実体のある存在は、事実として認識される。 しかし、人の価値観で評価、判断すると、実体は違うものになる。事実は変わってしまう。 今までに作られた価値観は、人それぞれの考えで違う。 花を見て美しい、ゴキブリは醜いと思っても、人の認識はそれぞれ違う。 同じ物にたいして美しい/醜い、良い/悪い等と人によって違う判断をする。 同じ人間であっても、戦争では敵、味方に分かれる。 人種が違うことから差別される、差別することもある。 人間が一方的に、勝手に作ってきた評価、判断する基準、見方を変えない限り、この勝ち負けを決めようとすること、戦争を含め自分は正しいと考え、行動することは、修正できないのではないか? ここに、宇宙の、大自然の在るがままの事実を知り、理解し、その事実と調和する考えが必要とする理由があると考える。 人類共通のもの、全宇宙の知的生命体に共通のものとなる、新しい価値観を考え、作ることが、人類が生き残るために必要であるのではないか? 新しい価値観とは、今までの考え方を変えることにより作られるものである。 美しいがあるから、醜いがある。醜いがあるから、美しいがある。 それは、違いに気付き、相反する考えを言葉により表現したものである。 しかし、在るがままの宇宙、大自然の中に人間の世界の評価、判断はない。 この人間の評価、判断が、事実に調和するものにする必要がある。 変化があり、違いがあるから、人間は美しい/醜いと判断するが、 脳は違いを認識しても、価値観は人間が作っている。 ここに人類が抱える問題の本質があると考える。 人類には、新たな考えを作る必要がある。 マイケル アレフ 2025年7月 Does it affect the survival of humanity? The background behind conflicting ideas English Version] |