サイトの目的

2024年9月

このサイトでは「ことばの認識は世界を変える」という目的を掲げているが、初めからその意味がわかっていたのではなく、今もその意味を考え続けている。
基本的な意味は以下のように考えている。

ことば」とは、情報を取り扱うシステムのことで、人間の言葉(言語)だけでなく、あらゆる生命体、その細胞にまで存在するシステムを表す。
全ての物質もそのシステムを構成する一部として情報源を持っている。

認識」とは、脳の考える思考と物事に対する反応を示す感情の両方の働きの意味で、昔の人は心と表現していた。

世界」とは、人間の持つ入力器官の五感により脳が認識する領域、範囲を表す。脳の認識の成長と共にその領域は絶えず変化し続けている。

子供が言葉の意味を学び理解するに従い世界は広がり、その領域は家族、幼稚園、小学校、中学校、高校、大学、社会へと変わっていく。

認識が変わり、考え方、視点が変わると、その世界は家族中心のものから人類社会へ、地球から宇宙へと広がっていく。
ただし、学習することがなければ、認識は変わらず、世界も変わらないことにもなる。認識による世界は変わらなくても、現実の世界は変わり続けている。

The World is a book, and those who do not travel read only a page.
世界は一冊の本のようなものだ。旅をしない人はそのたった1ページしか読んでいない。 (知力の源:智恵の言葉より)

世界が変わるのは、言葉を学び、理解することにより、認識する領域、範囲が変わるためであり、言葉には、世界を変えるだけの力があるという意味である

人類が作りあげた世界は、事実(現実、真実)の世界とは異なる。それを理解するために、(事実である)言葉の認識は欠かせない。



2024年6月

「ことば」とは何かと考えるようになったのは、30代の初めに、同じ神様を信じていても、その神様が人によって皆違うことに気付いたからかもしれない。美しさも人によって違う。自分の子供はかわいいと思っていても、人によってかわいさは違う。
ことばは同じように使っていても、人によって意味は違っている。ことばは同じではないのではないか。

ことばとは何かをシリーズ1に取り上げた。
日本語の言葉の意味は英語のことばとは違う。英語ではWord(s)である。それは単語という意味である。
単語がなぜことばなのかは、単語の作りにあると気付いた。



2022年8月

ことばの楽しさを取り上げることは目的ではないため、サイトのタイトルをサブタイトルであった「ことばの認識は世界を変える」に変更した。
このサイトではことばの抱える問題について考えたことを知らせるという目的があり、それが人類が抱えている問題の本質を明らかにすることであると考えている。



2021年4月

まもなくこのサイトは5年目を迎える。そこで過去を振り返ってみた。

1+1=2 の意味、こんな簡単なことがわかっていないと自分の認識に気付いた時、自分がわかっているという認識すべてが、わかっていないのにそう思い込んでいるだけなのではないか、という疑問がわいた。40年も前のことである。

ことばに問題があるのではないか、と思うようになったのは、「素顔の横田基地」のサイトの中に「ことばの不思議」について書くようになってからであるように思う。

自分にとっても衝撃的な「創世記の記録から読み解く神の真実の姿」を書いた。
以前から、神ということばに問題があることに気づいていた。それは同じキリスト教を信じていても、人によって神に対する理解に違いがあることだった。同じ神様なのに、実は人によって大きな違いがある。
どうして違うのか? それはことばの理解に問題があるからではないかと考えるようになった。

ことばとは何なのか?
考えていくなかで、ヘレン・ケラーのことを思い出し、調べてみた。そこで気付いたことを書いた。新しいサイトの必要性を感じ、「マイケルアレフのことばの不思議な世界」を作り、ことばの認識は世界を変える、シリーズその1とした。

その中に「ことば」とは何かを書いた。それまで定義は明確でなかった「ことば」の定義を「五感を通して得られたイメージを含む情報とその総称」であると書いた。現在は「情報を取り扱うシステム」と表現している。

それ以来4年間にわたり、シリーズとして28回、ことば(正確にはその媒体である単語)の理解に問題があることを書いてきた。
人が考えることは、ことばに依存している。ことばに誤りがあれば考えにも影響する。

書いている内に気付いたこと、人間性に進歩が見られない理由、新しい価値観、人間の考えに人類という視点が欠けていることが人類の存続に重大な問題を引き起こしていること等についても書いた。

書いた内容は、完成したものではない。改善の余地があるから進歩できると考えている。個人の持つ考えも変化している。

4年という時間も経過することから、書いてきた内容を振り返り、必要なら修正し、新たな考えがあればそれも付け加えたいと考えるようになった。近々、シリーズの見直しを始めたいと考えている。



2017年5月

人類の歴史を振り返ると、知り得る限り、殺し合いの歴史である。

地域にもよるが戦争の無い時代はほとんどなかった。有史以降6000年もの時が経過しているにもかかわらず、又これほどまでに科学が進歩している現在においてもなお、どこの国でも犯罪も殺人事件もなくならず、地域によっては紛争も戦争もあり、さらに世界に影響を与え得る大きな戦争の危険もあるのが現状である。

人類はこの基本的な問題を解決することはできないのだろうか。

こんなに当たり前のことのように思われることがなぜ改善できないのだろうか。国際連盟、国際連合も作ったではないか。何故根本的に改善されないのか。

人間の認識は何故こうなのか。認識することの問題はどこにあるのか。

そこで認識について考えてみた。ことばの働きの関係も考えてみた。そして認識の多面性に気づいた。ことばの働きにも様々あることに気づいた。

かなり過激と受け取られそうな内容も気付いた通りに書いてみた。

認識が創り出してきた想像物、創世記の記録から読み解く神の真実の姿、絶対者の存在だけを肯定する理由、過去も未来も現在の中にある、正義はない、人権についてなど重大な問題提起である。
基本的には信じることへの問題提起である。しかし、問題提起はできても、解決策を示したわけではない。

個人の力は微々たるもので、解決する力はないように思える。皆の知力をもってあるべき姿を模索することができないだろうか。

個人的ではあるが、願うのは一部の人であれ、書かれた内容から人生における何らかのヒントを得てもらうこと、そして人類の未来へ役立つ手がかりになるものを得てもらう機会になることである。

書いた内容は専門的に学問として学んだわけではない。考えが不十分な点、間違いもあると思っている。しかし、大切な何かを学んでいただけるかもしれないという願いから、より広く多くの人に知っていただく機会を設けるために2017年「素顔の横田基地のことばの不思議」を独立させて新しいサイトとして作り直した。

マイケル アレフ (アマチュア人生研究家)