| マイケルアレフの ことばの認識は世界を変える |
| 12月14日(日) 3.その4ー2 人間は価値をどのように作っているか? * 価値は情報により作られる 人間の言葉である単語、それから作られる文章、文章から作られる考えは全て情報である。画像、映像も情報である。 物だけでなく、あらゆるものに情報がある。 人間を含む全ての生命体は、その体そのものに情報を伝え合うシステムがある。 この情報の世界、情報を伝え合うシステムのことを、シリーズ1の中で「ことば」と表現したが、それが何かはよくわからない。学問として探究に値する課題と考えている。 情報には、提供される時期、提供者、内容など様々なことが考えられるが、人間が提供する情報には、健全と思われるものから、嘘、偽り、間違い、危険を伴うものまである。 幼いころ、嘘つきは泥棒の始まり、人を見たら泥棒と思え、と教えられた。 人間の社会からの情報に注意が必要なのは、事実との違いがあるからで、嘘、偽り、間違いに気付き、それを避け、騙されないようにする必要がある。 人間は、入力される情報に注意することが必要であるが、注意が必要なのは、入力される情報だけではない。 すでに人間、人類が持っている入力された情報にも、間違いがたくさんあると考えられる。 それは、持っている価値観に問題があることに気付いていない人類の姿である。 情報が人間に影響を与え、価値観を作っている。 以下の英文は、以前シリーズ46で紹介したものであるが、情報が人間に影響を与え価値観を作っていることを示す、考えるためのサンプルとして取り上げてみる。 A Great thinker was asked, 'What is the meaning of life?' ある偉大な考える人は、"命の意味は何か" と質問された。 He replied, “LIFE ITSELF has no meaning. It`s an opportunity to create a meaning.” 彼は答えた。“命そのものに意味はない。それは意味を作り出す機会である。” これを初めて読んだ時、興味深い文章、情報であると思ったが、 改めて、ここで質問し、考えてみよう。 彼は初めに、命そのものに意味はない、と答えている。 それなのに、次に、命は意味を持たせるためにある、と言っている それは、命そのものにも意味があることではないか? これは矛盾ではないか? これは、偉大な人の考えることなのか? それとも、ちょっと変わった人の考えたことなのか? これが、次の質問を提起させた。 偉い人はいるのか? もし、いるのは当たり前なら、劣っている人もいるのか? それは良い人、悪い人がいると思うことと同じではないか? なぜ偉い人と思うのか? 今までに何らかの方法で、その言葉がそう考えるように情報が入力され、その価値観を作っているからではないか? この文の初めに、ある偉大な考える人が質問された、とあるが、 偉大なとか、偉いという表現は、書いた人の持っている価値観を表しているのではないか? そう表現している時点で、自分たちと比べて、優れているという思いがあるので、そう表現したと考えられるが、書いた内容を強調するためかも知れない。 その思いが、価値観が、自由な考えを阻害している。 比較することで、自分が、自分たちが劣っていることを示し、 偉くない自分たちは、偉い人のようにはできないと思い込ませる。 しかし、何であれ、何をするにしても、人間は初めから偉大な、できる人間はいない。 偉い人などの価値観を持つことは、自分はできない人間にすることで、事実に反し、間違いではないか? 事実を知らないことに理由があるように思える。 現代の科学、医学が明らかにしている情報を知らず、その認識がないために昔からの人々の持っていた古い情報を基に、古い価値観で判断している? 人間はヒトゲノム遺伝子を受け継いでいるという意味で同じ人間であり、 生まれつき体に違いはあっても、能力に差があっても、差別を正当化する理由にはならない。 人間に偉いはない。劣っているもない。人間は皆、人間である。 人間は持っている価値観で人に価値をつけて差別しているが、事実に反し、間違いである。間違いとは現時点で修正が必要であると考えることである。 人間の情報には間違いがあり、わからないとそのまま受け入れてしまい、それを信じると、殺人さえ正当化する。人間は人間を大量虐殺してきたことを歴史が示している。戦争はその具体例である。 人間は恐ろしい存在になれる。正しいと思い込み信じれば、誰であっても殺人を犯す動機にする可能性がある。 価値観が作られ、そう考えるようになる前に、情報を吟味する必要がある。 偉大な人が、命そのものに価値はない、価値を作り出すものであると答えた。 その情報は正しいか? 情報は、その時代の進歩している状況によっても、個人の視点、育てられた環境、置かれている立場、教育等によって違って受け止められる。 命という言葉も、視点によって、考える答えは違ってくる。 偉い人の言うことは正しいか? イギリスのかつての首相チャーチルの知恵の言葉がある。 人生における最も大きな教訓は、愚かな者達でさえ時に正しいと知ることである。 それは何を伝えているのか? 偉い人でも時に間違える。愚かだと思う人でも正しいことはある。 特別に思える人はいても、元のヒトゲノムは人間としては変わらない。 考える力による謙虚さがなければ、人間は愚かになり、恐ろしい存在に変身する。 誰であってもその可能性がある。間違いの無い答えがあるのではない。 情報に関して重要なのは、現時点で少なくとも、次の2点をを知り、理解し、認識することと考える。 1. 在るがままの事実 2. 人間に絶対はないこと 説明 1. 在るがままの事実とは 大自然、宇宙に見られる在るがままの姿とは、人間の脳が五感を通して入ってくる情報に、人間の持つ価値観の影響をなくして認識すること。 在るがままの世界に、人間の世界の枠は無く、無限に広がっている。 その中に一番はない。一番強い、一番頭が良いはない。偉いも、愚かもない。 違いを意識することは自然である。しかし、人間は、その違いに価値を付けて美しい、醜いと評価し、それを価格に変えて利益を追求し、優越感を求め、差別する。 それは人間の世界にはある。つまり知的生命体の成長の過程や段階としてはあると考えられる。が、自然界にはない。 人間が作った考え全ては、事実ではない。事実に基づいていても、事実とは言えない。 人間の世界は、人間の考えで作られてきた。 考えは、単語、文章で作られる。その言葉に実体はない。言葉は実体の代わりである。 今までに作られてきた考えは、当たり前に思え、便利なものであっても、人間が作ったもので、事実ではない。 それは、情報が少ない昔に作られた空想による天国、地獄、神々、悪魔だけではない。 無いものを在るとしている考えは、気付いていないだけで、今もたくさんある。 地球の自転、太陽のまわりを公転していることは事実である。しかし、そこから作られた、過去、未来、時間、年齢による老化などの考え全ては事実ではない。人間の作った考えである。 元素、原子の発見、原子力の開発、ヒトゲノム遺伝子を発見し応用さえできるようになったが、人間が自分達が発見し、作ったと思っているなら、それは違う。全ては人間が発見する前から存在している。 無限のエネルギーを作り出す核融合の開発に取り組んでいても、太陽は50億年前からそのエネルギーを放出している。 AIは素晴らしい技術だと思っていても、プログラムは数十億年も前から生命体として存在している 人類は知らなかっただけで、全ては元々ある。気付かないでいるだけである。 そして、事実を認識していない間に、無いものをたくさん作ってきている。 情報に注意が必要であるのは、これからのことだけではなく、今までの過去に作ってきた情報を含め、修正する必要があるからと考える。 2. 絶対はない 完全、完璧、無限、永遠、絶対、100%、最高、一番などの表現があるが、その言葉の意味がわかって使われているとは言えない。 その言葉は一定の枠の中において、一定の限定した範囲の中で成り立つ考えである。 その枠内であれば人間の作った物、作品、理論などについて、完全に正しい、100%間違いはない、完璧に正しいという表現を使うことができる。最高の出来、一番良く出来たとも言える。 成績を比較することで、学業やスポーツ等の結果を一定の枠の中で、クラスで一番、学校で一番、東京都で一番、県で一番、日本で一番、世界で一番の業績と表現することは出来る。 しかし、それには条件がある。一定の枠の中でという条件である。それは、現時点では、人間のいる地球上ではという条件がある 。 つまり、一番であっても、地球に限定せず、太陽系、銀河系、見える宇宙の範囲の中でとなれば、一番ではない。 無限という枠、言い換えれば枠が無く、条件がなければ、完全、完璧、無限、永遠、100%、最高、一番などは存在しない。 これが絶対はないという意味である。 絶対とは、永遠、無限、枠の無い、条件の無い、人間という枠を越えていることである。 ところが、絶対はないのに、絶対があると思わせてきたことがある。 それは、無いものを在るとする、信じるという行為である。 今までの信じることが、何であれ、あることにしている。 正しいという意味はその時点で、間違いがないと考えられるという意味でしかない。人間に、絶対正しいはない理由である。 もし、信じるなら、何であっても、存在がなくても、あることにすることはできる。 価値を信じれば、殺人でも、戦争でも、何でもできるのである。 それが長い間、利用されてきている。 人間の指導者は権力により、情報を操作し、大衆を信じさせることで、思うように利用してきた歴史がある。 * 命そのものに意味はないとと考える理由はあるか? 命とは、人間だけでなくあらゆる生命体を意味する。命は生命体を活かす元、エネルギーのようなもの、命の息という表現もあるが、よくわからない。 数百億の人間が死んできた。そのほとんどの人の記録は残っていない。 人間の命に意味はないと思う理由になるかもしれない。 命とは意味を作り出す機会である。それも、確かにあり得るように思える。 人類が文明を進歩させ、科学、医学の恩恵を受けていることは、今までの無数の人の働きにより、命の意味を作り出してきた結果である。 命そのものに意味はないと答えても、命には意味があると考えることはできる。 命は食べ物であり、生命体は全て他の生命体を殺し食べている。 食物連鎖があり、人間はその頂点にいる。 人間だけが食べられていない。 人は死んでも、焼却されて灰になることも多い。 その死んだ肉体に意味はないのか? 人間はなぜリサイクルの対象にならないのか? 人間に対する人間の考えが、価値観により制約、制限されている。 人間の脳死は死である。死んだら人間の意味は失われる。 人間の自由な考えを阻む価値観は正しいのか? 人間が食物連鎖の頂点に居続ける理由はあるのだろうか? 人間の命は特別であると考えることはできる。 命に意味も、価値も付けることができる。 人間には考える力があるからだ。 新たなものを作り出すことができる 人類がそれを活用すれば、もっと違う社会を作り出すこともできる。 人間だけを価値観により特別扱いするのではなく、自由な考えを活用することを考えてみることはできないか? 知的生命体の持つ可能性をさらに拡げ、あるがままの自然界と調和するように考えることはできるのではないか? 事実とは在るがままの世界のことである。 人類が生まれる前からある世界のことである。 人間の世界は人間の価値観の上に作られている。 人類が事実と調和させるという理想を掲げて、考える力を活用することが、人類としての永続する道なのかも知れない。 つづく 次回の予定 12月28日(日) その4ー3 人間の価値と未来を考える |
| 考えることで新たに気づいたこと 3.その1 AI(人工知能)は文章を作り、様々な質問に答えるようになった。 車の自動運転にも使われ、AI が車を運転している。 AI は人間が作った素晴らしい機能であり、今までの人類の経験からすると、考えているように思える。 「AI は考えているのか?」 という疑問が生じる。 それは同時に、「人間は考えているのか?」 という質問でもある。 AI は、人間の持つ五感の機能に対する脳の働きの代わりしているように思える。 質問に答え、文章を作るだけでなく、車でさえ動かしている。 人間の目の役割をするセンサー、それに人間がどのように反応しているかに関する脳の働きなどの情報を使うことで、AI は人間と同じような動きを実現させている。 人間の目は二つ、視力にも限界があるが、人間の脳の働きは、細菌のような見えない小さなものから宇宙の限りなく広大に思えるものまで認識することを可能にする。その脳の新たなものを作り出すという 「考えるという働き」 を使い、目に代わる複数のセンサーで、人間以上の見る働きを可能にしている。 AIは、車を運転をする際、人間の不注意や交通ルール違反などを無くすことができ、格段に安全性を向上させることが可能に思える。 「AI は考えているのか?」 それは「人間は考えているのか?」と同じ意味なのかいう質問でもある。 シリーズ1の2022年4月に「考えるとは何か?」と、質問を提起し、答えを探したことが書かれている。一部を以下に引用する。 「考えとは何か? 考えは何から作られているのだろうか? ネット上で調べると、「考えること。また、考えて得た結論・判断・予測・決意など」とあるが、考えとは何かを具体的に示すものは無いようだ。 そこで、考えとは何かを考えてみた。 幼児は、ことば(単語)を学ぶと、それを組み合わせて文章を作るようになる。 親を含め周りにいる人が話しかけ、主語になる私、僕から、動詞の食べる、歩く等の単語を覚え、真似するようになるからであるように思える。 それは幼いとは言え、子供の持つ意志を表す。つまり考えである。 文章は単語から作られる。文章は考えを作っている。たくさんの文章はたくさんの考えを作っている。その文章の考えとは、文章の内容のことである。そこから次の様に言うことができるように思う。 考えるとは、頭の中で文章を作ることである。 考えは、その文章の内容のことである。 文章を書くとは、考えを文字を使った文章で表現することである。 会話で意思の疎通をするとは、頭の中で文を作り、その考えを互いに伝え合うことである。」 2022年4月の時点ではそう考えていたが、今は違うように思うようになった。 シリーズ 48ー2 その2 に理由を書いた。 幼児は言葉を学び、覚え、真似し、繰り返すことで話すようになる。 言葉を覚えた子供は、話すことを始める。しかし、言葉を使ってはいても、言葉の意味を知らず、理解してるわけでもない。それは、言葉を活用し考えていることではない、と気付いた。 話すことは、言葉を使い、文章を作り、声を出して、言うことである。 そうできるのは、脳が言葉を使い、考えているからであると、初めは考えた。 しかし、幼児が言葉を話すのは、考えているとは言えない。 言葉を使ってはいても、「お腹がすいた」などのように、欲求に対する反応を直接言葉で表現しているだけで、考えているとは言えない。 言葉をただ繰り返すことも、考えていることではない。 言葉を使わずに「考える」ことはできるか? 考えることはできない。考えるためには、条件として言葉が必要である。 ただし、幼児期の子供の例が示すように、言葉を使うだけでは、考えていることにはならない。言葉の単なる使用は、言葉を活用し考えることとは違う。 学ぶ、学習するは、主に受け身の情報を収集することであり、 考えるは、能動的で、積極的で、新しいものを作り出すという働きがある。 学ぶ、学習すると考えるの意味は共に脳の働きであることは確かであっても、意味に明確な違いがある。考えるという言葉の意味をより正確に理解することで、言葉の使い方に修正が必要に思える。 考えるという言葉に明確な意味がなく曖昧だったのは、脳の働きが最近までわからなかったという事情があったからではないか? 意味が正確にわからなかったので、考えるという表現を、基本的に言葉を使うという意味に使ってきたのではないか。 頭で文章を作ること、文章を作って会話をすること、文章を書き日記をつけること、また悩む、心配する、評価する、判断する、決める、選択するなども考えることにしてきたのではないか? しかし、最近その違いに気付き始めた。 良く使われる「思う、思える」という表現も脳の働きで、考えると同じような意味で使われてきているが、基本的には感情と結びついた表現で、人の持つ美しい、醜いなどの価値観の反応を表現する時にも使われ、また、人の持っている意見、主義、主張を感情的に相手に直接ぶっつけることを和らげる働きをしているように思える。 知識、情報の非常に少ない時代があり、作られた想像による考えを、真実、現実として信じてきた長い歴史があることを指摘したが、それも考えることだった。 人間はわからない間だけ、神として扱うが、わかるようになると神ではなくなるのは、信じる理由が、対象ではなく人間の理解、認識にあることを示している。 科学技術の進歩が、真実、現実を明らかにするようになると、嵐、干ばつ、地震、津波などの自然現象を神によるものではないと理解するようになる。 考えるという言葉の意味は、新たなものを作り出す脳の働きのことで、全体像を把握し、質問を作り、答えを探そうとする機能のことである、と考える。 この意味からすると、AI は考えているのではない。人類が今までの考えるという表現を使ってきた大部分は、考えているのではないことになる。 人間の新たなものを作り出すという特別な脳の働きは、AIには未だない。 人間にはあるが、人類としてはそれに気づいていないのかもしれない。 この能力がどのようにして作られるかは。これからの研究課題になるのだろうか。 人類がこの能力の意味を理解し、その機能を作り、AIに与えるなら、人間の意味は失われるのだろうか? さて、このサイトでは、今でも、当たり前に思っていることでも事実ではないことがあると個人の考えを書いてきた。 人間の考え、人間の作ってきた考え全ては、在るがままの事実、真実、現実ではない。 人間が言葉で作ってきた全ての考え、理論、思想、信条は事実ではない。 その理由は、言葉自体が、実体の代わり、想像によるイメージであり、実体を持たないからである。 事実に基づいた考え、法則であっても、人間が作ったものは事実ではない。 人間の作ってきた科学は事実ではない。事実に基づく人間の作り出した考えである。 数学、医学も学問としては、人間が作ったものあるため、事実ではない。 人類が存在する前から在ると考えられるもの、元から、初めからあるものは現実、真実であり、事実と考えられるが、人類が言葉で作ってきた全ての考え、理論、思想、信条は事実ではない。 人間が作った物は、実体から作られ実体と認識できるため、事実ととらえることはできるように思える。人類の歴史そのものは、在るがままの事実と考えることができるが、そこに人間の解釈が伴うなら事実ではなくなる。 間違っていても、今でも受け入れられている考えはたくさんある。 年を取る、年を重ねることが、老化することであると思われているが、 これは明らかに間違いである。それが理由ではないからだ。 しかし、理由がわからなければ、真実はわからない。それが理由で今でもそう思っている人が大半である。 わかる時がくれば、この考えはなくなる。 地球の自転、太陽のまわりを公転していることは事実である。 しかし、そこから作られた暦、時計の時間、明日という未来、老化などは人間の考えであり、事実ではない。ただし、人間にとって非常に便利なものである。 時間がある。人間が作った時間は、地球の自転、周期、サイクルから作られたその周期、繰り返しを計る、時計の時間である。時間は人間の作った考えである。 太陽のまわりを地球は自転しなからまわっている。それが理由で、明日がある、明日がやってくる。太陽系の外の宇宙空間にいると、その影響はなくなり、明日はない。明日がやってくることはない。地球上の時計を持っていけば、地球上での時間を知ることはできる。 (詳しくは、シリーズ33 言葉から考える時間について) 数学は数の学問であるのは、数が何かわからないからで、数学で学ぶ自然数、整数、有理数、無理数など全ては、人間の考えで作ったものである。元から、初めから、あるのではない。 このサイトを始めた頃、「このサイトの全ての内容は未完成であり、変わり続ける可能性を持っている」と書いたが、その意味が明らかになったように思う。 言い換えると 「このサイトの内容は基本的に質問提起であり、その質問に対する答を探すという、考える過程を書いている」 という意味である。 |
| 考えることで新たに気づいたこと 3.その2 今まで考えてきて、わかったことを、現時点での理解として、次のように整理し、まとめてみた。 人間の脳の働きには、その一部に言葉を使うことが含まれる。 それは、人間が知的生命体であることの意味の大部分を占めている。 つまり、言葉を持ち、活用し、考える力を持っていることである。 言葉を使うことは、幼児期に始まる。 幼児に言葉を教えると、それを覚え、使うようになる。話をし、情報交換をするようになる。 ただし、この時点で幼児は、言葉の意味を知らず、理解してもいない。 AI が質問に答えるのは、人間によりプログラムとしてあらかじめ入力され、記憶され、用意された答えを返すことである。 人間が言葉を使うことは、人工知能のAI が、文章を作り、様々な質問に答えるプログラムによる情報処理と同じように思える。 今まで脳の言葉の働きを知らずに、その全てを考えるという表現を使ってきたが、脳の言葉の意味とその使い方には明らかに違いがある。 人類はそれに気付かずにいた。人工知能 AI の発達により気づくようになった。 AI は言葉を使い、考えているのか? という質問の答を探すことによる。 人類は数千年の歴史を経て、脳による言葉の働きを知り、理解することを始めたという意味である。 言葉は、定義ではなく、意味を考えることで、その働きを知り、理解し、活用するためにある。 考えるという表現を今まで通りに使い続けることは、脳の言葉の働きを理解できないままにすることになる。 そこで、簡単に分類できないように思えることもあるが、分類、整理してみた。 * 言葉の意味を明確にするために、脳の働きを以下の5つに分けてみた。 1. 思う 2. 学ぶ、学習する 3. 考える 4. 評価する、判断する、選択する 5. それ以外 (信じる、忘れる、夢など) 説明 1. 思うとは 人間の脳と人工知能のAI が同じように言葉を使い文章を作り、質問に答えている。今までになかったこの言葉の一般的な使用、広い意味に「思う」という言葉を当ててみる。 思うという表現は、考える(思考)などと区別し、言葉を使うという基本的な意味とする。これは人工知能AI の働きのことでもある。 言葉を使い、文章を書き、質問に答えるなどの意味のことである。 言葉を使うという基本的な意味の例をあげてみる。 食べたいと思う。 思うとは、言葉を使い、欲求を表現すること。 美しいと思う。 思うとは、言葉を使い、自分の感情を表現すること。 会話することは、思うこと。 思うとは、言葉を使い、AI と同じように、単純に情報交換すること。 学校のテストで覚えたことを答えること。 覚えたことを、言葉を使い、答えることは、記憶を思い出すことで、思うことである。 単語により文章を作ること等に限定すると、それは言葉を使うという基本的な脳の働き、AI の働きのことで、思うことである。 2. 学ぶ、学習するとは、情報を収集すること。 広い意味の「思う」という意味の一部であるが、情報の収集という目的があることに大きな違いがある。 学習は自分からすることではあっても、教育などにより情報は与えられるものである。学習は情報を吸収することであり、作ることではない。 人類が作ったAI の情報収集、蓄積機能は、これまでに人間、人類が持っていた情報量の範囲をはるかに越えるものになっている。 3. 考えるとは、学習により得た情報を活用し、全体を把握し、質問を作り、答を探そうとすること、新たなものを作り出すこと。 この考えることの中に、人間が自分という存在、認識を作ることが関係している。 AI にこの新たなものを作り出す、考えるという能力は未だない。 4. 評価する、判断する、選択するとは、基本的に、それまでに作られた価値観で決めること。 人間の評価、判断、選択は、主に価値観の反応のことである。 感情による反応も価値観による。 価値観は、幼少の頃から言葉を通して常識として教えられ、基本的に好き、嫌いに基づく人間の好みで作られてきたものである。 その後の自らの経験などの学習を遠し、考えることにより、新たな視点で見ること、客観的に物事を見るなどの新たな価値観を作っていることもある。 幼児期に作られる価値観には、作られる基準があるわけではないが、思い込みにより、植え付けられるものである。 価値観は、人間の世界にはあるが、自然界にはない。 それが理由に、生まれ育った地域、国、言語、宗教、教育などにより人の持つ価値観はそれぞれ違っている。 人間には価値観があるが、AI には未だない。 ここに、元々規準の無い価値観を、どうやってAI にプログラムするのか? という質問が提起される。 人間の本質に関わる問いである。 5 その他、今後の課題 情報が少なく、事実を知ることができない状況下で、脳は想像により、思い込みにより、無いものを在るもの、新しいものとして作り出し、人々はそれを無条件に信じてきた。 無い物でもあることにする信じるなどに見られる脳の働きは、なぜあるのか? わからないことを理由に、間違っていてもわかったことにすることは、言葉と関係があるのだろうか? 忘れることは、脳の機能だけが理由で、言葉は関係していないのか? 睡眠時に夢を見ることは、思うことなのか? 今でもわかっていないことはたくさんあるが、昔と違うのは、事実を認識することの意味を理解するようになったことにより、わからないからを理由に信じることはなくなり、わからないという課題として残すようになったことである。 つづく |
| 人間の世界の真実、現実は、在るがままの事実とは違う。 事実とは大自然、宇宙に見られる在るがままの世界のこと。 人類は、自然界を知る、研究する、探求することで、事実を知るようになった。 科学の進歩は、事実を知る上に作られてきた。 しかし、人間の考えは事実の上に作られてはこなかった。 多くが感情という価値観の反応の上に作られている。 ここに科学と人間の進歩の間に、大きな開き、違いが生じた理由がある。 |
| 考えることで新たに気づいたこと 3.その3 大人が幼児に言葉を教えるとき、何を教えているのか? 幼児は何を学んでいるのか? 言葉とはいったい何なのか? 日常の一場面: テーブルの上に赤いりんごが置いてある。 母親が2才の娘に「美味しいりんごだよ、りんごを食べようね」と言って、りんごの皮を剥き、切り、一つを皿の上にのせて渡した。 何度となく繰り返される会話の一場面であるが、こうした会話を通して、言葉が子供に伝えられていく。 会話により、りんごという実際に存在する食べ物の名前を教えていることはわかる。 りんごは食べ物の名前、名称、単語であり、言葉である。 この言葉を教え、教えられてきた長い間、言葉の働きに気付かず、見落としてきたことがある。 それは、脳とその働きを知らなかったために、言葉が何かわからず、物と言葉か同じだと思い込んできた背景でもある。 何を見落としてきたというのだろうか? 言葉の働きとは何なのか? シリーズ1から何度となく説明してきた過程を経て、ようやく言葉の意味が、はっきりと明確になってきたように思う。 日本語では、単語、文章、考え、考えから作られるもの全てを言葉と表現している。 単語は一つの物に付けた名前のことで、言葉の元、基本である。 英語で言葉はワード WORD で、単語である。言語ではない。 単語が集まると文章になり、文章が集まると考えになる。考えから様々な話、意見、理論などが作られる。 言葉の元、言葉の基本は単語である。 単語は、物に付けた名前のことである、と書いた。 そう教えられ、そう思っていた。 ところがここに、今まで気付かないでいたこと、見落としてきたことがある。 単語は、物に付けた名前だけではないことである。 他に何があると言うのか? 言葉としての単語の意味は名前だけではない。 単語には五感からの情報が含まれている。 一般的には、見ることによる情報がその単語の名前と共にある。 簡単に言うと、画像(イメージ)のことである。 りんごという名前を聞いただけで、りんごを思い出す。 思い出すのは画像である。なぜ画像が出てくるのか? 脳に記憶として作られ、蓄積されているからである。 脳の働きを知らなかった時には、画像がイメージとして記憶に残されることを知らなかった。 それで、物と名前が同じだった。 言葉としての単語の正確な意味は、物の名前と五感からの情報である。 簡単に言うと、単語は物の名前と画像(イメージ)から作られている。 これを理解できたなら、以下の説明から、言葉の働きを理解することができる。 言葉(単語)とは何か? 物にはそれぞれの名前がある。 単語(言葉)は全て、画像のイメージとそれに付けられた名前である。 重要なのは、その名前が物にあるのではないことである。 そんなことはあり得ないと思う人もいるかもしれないが、 ここに今まで気付かないでいた重要な事実がある。 その名前は物にあるのではなく、脳に単語(言葉)として、つまり、物の画像のイメージとそれに付けた名前として記録されている。 実体を見るとき、その名前を呼び起こし、みかん、イチゴ、バナナなどと表現するが、それは脳にある単語(言葉)である。 実体は五感で認識できる物、存在そのものの意味である。 「物に名前がある」と教えられてきた。しかし、これは事実ではない。 物(実体)は名前ではない。言葉ではない。物に名前があるのではない。 その説明: 物である実体に名前を付けてみる。物を名前で呼んでみる。 その物に付けた名前で呼ぶようになると、その名前が物になる。それに慣れてくると、物と名前が同じになる。 物に名前を付けたから、名前があるようになり、その名前で物がわかるのであり、 名前を付ける前に物に名前はなかった。物は名前ではない。 実体は同じでも、呼び名を変えることができる。 物という実体に名前は初めからあるのではない。名前を付けたから名前がある。 その名前は物にあるのではなく、人間の脳に言葉(単語)として残される。 ここに果物がある。りんごである。英語ではアップルである。 言語が違えば、名前が違う。同じ実体に対して言葉(単語)が違う。 実体その物は同じでも、付けられた名前が違う。 このことは、物に名前があるのではなく、名前を付けたから言葉(単語)としてあり、その名前は実体にあるではなく、脳にその名前、名称、言葉として記憶されていることを示している。 人の名前 昔から、人は名前で呼ばれてきた。名前イコール本人であるかのように思われている。誰もそれに疑問を持たないできた。 赤ちゃんが産まれると名前を付ける。初めは、子供の名前に慣れていないため、違和感がある。しかし、名前で呼ぶことに慣れてくると、名前がその子になる。 人の名前は固有名詞であるが、同姓同名の人はたくさんいる。人口が多いと同じ名前の人がたくさんいるようになる。 つまり、名前が同じでも、本人とは限らない。違う人である場合もたくさんある。 実体である人間にはそれぞれ名前を付けられている。初めに名前はなかった。 名前は、その人ではないが、名前に慣れるとその人のように思い込む。 人の名前とその画像に当たる言葉(単語)は人間の脳にあり、個人を見分ける(識別する)情報として使われている。 みかんを見てりんごと思わないのはなぜか? みかんを見て、りんごと思う人はまずいない。 なぜ、みかんをりんごと思わないのか? その理由は脳にある。 脳には、みかん、りんご等の情報がある。みかんとりんごは言葉(単語)として、画像と名前が記憶されている。その単語が持つ画像が一致せず、脳が違いがあると判断している。その違いから、みかんをりんごと思うことはない。 もし脳にある単語の画像が同じであれば、みかんとりんごの区別はできない。 もしその画像が反対であれば、りんごがみかんになる。 人々の脳にある物に対する単語(画像と名前)は、言語が同じであれば、基本的に共有される。その共通の単語から作られる文章や考えを、情報として伝え合い、互いに理解することができる理由である。それが言葉である。 単語の持つ可能性の意味 実体を見て、りんごと教えられる時、実際のりんごには色、大きさ、味など違うものがある。りんごは一種類の果物に付けられた総称の意味でもある。 初めに見ている実体を言葉(単語の名前)として教えられるが、経験と共に、その言葉(単語)には新たな情報が付け加えられていく。 絵本を見て本という言葉を教えられても、本には違うものがたくさんある。言葉は実体でないので、地球上にある無数の本を、本と表すことができる。言葉の持つ意味は深淵である。 物は実体であり、五感で存在として認識することができる。 単語(言葉)は、実際に存在する実体ではなく、脳に画像と名前の記憶としてある。その言葉(単語)に新たに学ぶ情報が付け加えられていく。 脳にある言葉(単語)の画像はイメージなので、例えばりんごは大きくすることも、小さくすることも、色を付けることも、ナイフで切ることも、手に持ってボールのように空中に高く投げるなど、どのようにも想像することができる。 このことは、言葉(単語)に意味を持たせることはできても、明確な定義を作ることはできないことも意味する。 その理由は、言葉(単語)は無限に広がる情報を持つことができ、そのイメージは変幻自在に変えることができるからである。 物は存在である、実体であるが、そこに名前と意味を持たせているのは、人間の脳の働きである。人間が物に名前を付けなければ、その存在に名前はない。 母親が娘に 「美味しいりんごだよ、りんごを食べようね。」 という会話をしている時に使われる美味しいという表現も言葉である。 美味しいは、五感の味覚の快い、好きに当たる。まずい、不味いは、不快で、嫌いに当たる。 人の持つ価値観のことであるが、知らない内に言葉と共に子供に伝えられていく。 知らない内に、人が価値観を持ち、それを当たり前のように思ってしまう理由である。 マイケル アレフ 2025年10月 上記の内容 「物に名前があるのではない」 ことが意味するのは、 |
| 価値とは? 脳は五感からの入力に違いを認識するが、その違いは物の価値ではない。 違いは在るがままの情報で、事実である。 人間は、その違いに価値を付け、良い、悪い、美しい、醜いなどの 価値観を表す表現に変えている。 違いを価値観に変えることは、在るがままの事実に価値を付けて、 人間の世界のものにする(変える)ことである。 そこに人間の世界が現実、真実であると思っていても、 在るがままの事実ではない理由がある。 それは、地球上の人類が事実とは違う独自の世界を作っていることを意味している。 |
| 考えることで新たに気づいたこと 3.その4 価値の意味について 人間が物の存在を知るのは、見る、聞く、嗅ぐ、味わう、触るという基本となる入力器官の五感と、そこから得られる情報を処理している脳の働きによる。 * 物の価値は五感からの情報によるのか? 一つの例で考えてみよう。 目で見えないように目隠しをしてみる。 目で見ることができないと、見ることから得られる情報は脳に伝わらない。 目からの情報が脳に伝わらないと、その結果として、物が見えない。物が美しいことも、醜いこともない。 物を見ること自体と、物が美しい、醜いは、別の働きなのか? 言い換えると、見るという目の働きが、物の美しい、醜いという価値を決めているのか? それとも目ではなく別の働きなのか? 目は、見ることの入力器官で、実体の画像、映像により形、大きさ、色、明るさ等の情報を神経細胞により脳に送っている。 送られた情報は、物を表す言葉(単語)に情報として付け加えられ、蓄積される。 この情報に初めから美しい等の価値が付いているのだろうか? 今日に至るまでの数千年以上の間、人類は、五感と脳の存在、その働きを知らず、気付かずにいた。 それまでの人々の認識は、見えるのは、目があるからだった。 目で見ていたのではなく、目が見ていた。 物は、見えるもの、実体そのもの、存在そのものであるが、 目が直接見て、認識していた。 物の名前は物にあった。物が名前だった。 美しいは、物にあった。花が美しいのは、美しさが花にあるからだった。絵画が美しいのは、絵そのものが美しいからで、人が美しいのも、その人が美しいからだった。 醜いは、物にあった。醜いのは、対象そのものが醜いからだった。 人々は皆、同じように思い、同じ認識だった。 物に名前ある、価値があると信じて疑うことはなかった。 五感と脳の存在とその働きを知らなかったことが、事実を知らず、理解できない理由だった。 これが物に価値があるのではないのに、物に価値があることにしてきた理由である。 物に名前があると思うのは、前提に、人が名前を付けたからあるのであり、物に初めから名前があるのではない。 価値も同様に、初めからあるのではなく、価値を付けたからあるのである。 * 物に対する価値観は、五感からの情報でないなら、 なぜ物に価値があるようになるのか? 前回、物の名前と画像(イメージ)を持つ単語(言葉)は、脳に記憶されていると説明した。そして、その単語(言葉)に明確な定義はない理由を二つあげた。 1. それぞれの単語に情報が付け加えられていくが、その付けられる情報に制限はなく、限定できない。 2. 単語につけられたイメージ(画像)は脳にあり、固定したものではない。想像により、変幻自在に、どのようにも変えることができる。 得られた情報に意味を持たせ、価値を付けている理由は、1の 単語(言葉)に、付け加えられていく情報の中にある。 違いを認識する脳は、単語に対象となる物の情報を持たせる時に、価値を付けている。 情報そのものは、脳に違いを気付かせるが、違いそのものは在るがままの事実である。 その事実に、価値という意味を持たせているのは、人間である。 個人の場合、価値を付けている情報とは、その人にとって、快い、不快という、物にたいする好き、嫌いという、主に好みのことである。 物に価値があるのではなく、人は物に意味を作り、好みにより価値を付けている。 例えば、リンゴ、イチゴ、バナナという単語には、美味しい果物で、体に良い食べ物という意味があると思っていても、それだけでは、全体を見ていることにならない。先入観になる。 その果物に健全な意味があるのではない。人間がその意味を付けている。 その果物の賞味期限が過ぎ、腐っていても、リンゴはリンゴ、イチゴはイチゴ、バナナはバナナである。同じ単語でも、物に価値があるのではない。健康に良いという食べるものとしての価値はなくなる。価値は作ったからあることを忘れている。 人がどのように条件を作るかによって、物には価値があることにも、価値がないことにもなる。 条件を意識せずに作っていることもあるが、その条件が価値の元である。 その条件の中に、好き嫌いという好みが含まれている。 基本的にその好みの情報が、価値観を作り、持たせている。 人はその人の好みにより物、人、動物、花、何にでも価値を付けている。 もし物に価値があるのなら、価値は決まっていて変わりようがない。人は同じ価値観を持つことになる。しかし、実際には、人によって好みは違い、価値観も違う。 何にでも価値を付けたり、変えたりできるのは、物に価値があるのではないからである。 物の価値が変わるのは、人間が価値を付け替えているからである。 つづく 次回の予定 考えることで新たに気づいたこと その4-1 価値の具体的な例として、人間は物と同じように人、人間に価値を付けているのか? この課題を考えるまで、人に値段を付けられるとは、考えてもみなかった。 人間には、同じ人間に価値を付け、奴隷として、人間を売買してきた長い歴史がある。 |
| 考えることから見えてきたこと 3.その4 1.人間の存在と価値の意味 2.人間は価値をどのように作っているか? 3.人間の価値と未来を考える 11月30日(日) その4ー1 人間の存在と価値の意味について 人間は人間に価値を付け、奴隷として売買してきた長い歴史がある。今でも人身売買が行われているという報道を耳にする。 人身売買は違法であり、国際条約としての決まりがある。 人身売買は、昔の奴隷制度とは違う意味を持つようになり、今ではその制度というより、子供や女性の人格を認めず、物と同じように売買の対象にする行為、人間としての権利を奪い、踏みにじるような悪質な行為をさせることも含むようになってきている。 人間が、人間の尊厳を無視し、価値を決め、利用しているという意味である。 人身売買ではないが、人間は日常的に、人に良い、悪いという価値を付け、評価、判断、区別している。 個人のレベルで人を良い人、悪い人、偉い人、愚かな人と思うし、そう評価することは広く見られる。 人間には、自分たちの思いで、他国の人を見下し、奴隷のような扱いをし、敵にしてきた歴史がある。敵にすることで人を殺すことを正当化し、戦争をしてきた。 同じことが今でも行われている。 今までに殺害された人の数は数千万人をはるかに越え、数えきれない。 これは人間の一面ではあるが、ここに人間の恐ろしさと愚かさを認識することができる。 人間は価値を付けて仲良くすることも、敵にすることもできることである。 人間は人の価値を無くし、存在価値を無くすことができる。物に価値をつけることと同じようにである。人間が人の価値を決めている。 なぜ価値を決められるのか? それは、自分の国、民族、文化などに優位性があると信じ、主張してきたことに表れているように思える。その優位性という価値観を持ち、決めることが、人類が抱える多くの問題を引き起こす原因ではないか。 例えば、価値は富んでいる人、貧しい人などの、貧富の差を作る。 物、人の価値を決めることが、差別を生む。 人を嫌うこと、嫌なやつだと思うことが、差別を生む いじめは、差別から、人の価値を決めつけることから始まる。 差別は自分に優位性があり、他人を見下すこと、価値を決めつけることで、それが争いに発展する。犯罪、殺人、戦争の背景にある。 人間が物を含め全ての価値を決めている。 人間の存在価値を決めている しかし、物に価値があるのではない。 宝石は自分の価値を知らない。 土地に価値があるのではない。 土地は自分に価値のあることを知らない。 人間が宝石や土地に価値をつけ、売り物にする。 それを買えば、自分のものになると思っている。 これは、人間が決めている人間の価値の世界である。 この価値を付けることが、それぞれの国が、それぞれの土地の所有権を主張し、防衛のために膨大な資金を積み込み、他国からの侵略に備えをしている背景である。 互いに戦争の脅威を自ら作りながら、互いに疑心暗鬼になっている。 人が自分の土地があると思えるのは生きている短い間だけである。国が約束して守っている間だけである。 しかし、国家が守ってくれても敵が攻めてくれば、国家の土地はなくなるかもしれない。 ロシアはウクライナを侵略した。侵略は昔からあることだ。人間は正当な理由を何であれ作り出し、正当化する。 土地に価値はない時代もあった。誰の土地でもなかった。 土地は誰のものか? 誰がそれを決めたのか? 全ては人間が決めている。 地球外にいる高度な知能を持つ生命体から見れば、人間、人類はなんと愚かなのだろうと思うのではないか? 人間の子供でさえ、人間の大人の愚かさに気付く。 地球を、個人、国家、人類のものと考える限り、人間の社会が安定することはない。 地球は、人類を含む生命体が生きていくために間借りしている場所であり、宇宙もそうである、と考える。 国が持っている自分達の優位性という価値観をなくし、人類という視点で考えれば、今までとは違う新たな道を開くことができるのではないか? 新たな道とは、人間である自分達の恐ろしさと愚かさに気付き、人間の持つ優越感に基づく価値観を修正する方法を考え出すことであるように思える。 つづく |
| シリーズ48 考えることの意味 * 前置き その1~3 メッセージ 1.考える対象について 2.考えるきっかけとは何か? * 脳は言葉により考えるが、様々な刺激に反応して考えている 3. 考えることで気付いたこと その1~その4 その1 AIは考えているのか? 人間は考えているのか? 考えるとは何か、 その2 考えるという言葉の意味を考える、思うと考えるなど その3 言葉とは何か その4 価値について その4-1.人間の存在と価値の意味 * 現在執筆中 その4-2.人間は価値をどのように作っているか? その4-3.人間の価値と未来を考える 4.考えが抑制 (制御) される場合 * 考えることを抑制しているもの 遺伝子、情報伝達物質、他 感情的、理性的? * 考えない、考えさせない、無いものをあることにする 脳の働き 信じる * 考えに方向付けは必要か 5. なぜ考えるのか? * 成長する過程で、考える能力には違いがある 6. その他 |
| イル ディーボの歌にあるパセラ その訳の一部 |
| 人間の恐ろしさ 具体例 |
マイケル アレフ |