マイケルアレフのことばの不思議な世界

シリーズ43   自分とは何か

その1


友人が以前読んだ本に「自分とは何か? 自分とは魂である」と、書いてあったという。
以来、彼は「自分とは魂だ」と思っていると語った。意見を聞かれたので自分の考えを話した。

この時のことから、改めて考えをまとめ、以下のように書いた。


自分とは何か?

人間は受精卵のヒトゲノム遺伝子により作られ、人間の新生児は親を含む社会からの支援を受け、支えられ、成長していく。

目も耳もその働きが機能し、反応を見せるようになるまでには時間がかかる。
手足をバタバタさせ動かすようになる。半年は寝ていながら世話を受ける。
脳の働きにより、ハイハイすることができるようになり、やがで物につかまって歩き、歩行するようになる。自分から体を動かすことを学んでいる。

親に言葉を教えられ、自分から学習し、真似し、言葉を少しづつ話すようになる。

脳が五感を通し、見る物、聞く物、食べる物、触る物、臭う物を学習する。
幼児は好奇心旺盛で何でも口に入れてみたり、何でも触ってみたりして、物が何かを学んでいる。
二才の頃迄にはたくさんの単語を教えられ、物に名前があることを学び、覚える。見る、食べる、歩く等の動詞を学ぶ。
単語を繰り返し、覚えた単語を使い、会話するようになる。三才で大人に負けないほど話す子もいる。

人の会話からも学び、自分で話すようになる。
話すようになる時に、自分の意思を表す。好き、嫌い、食べたい等と自分を表現する。

自分の存在があることを未だ知らない。が、自分という存在が形成され始めている。
手足を自由に動かし、言葉で好き嫌いを言うようになる頃には、脳が学習してきたことから、自分という存在に気付き始める。

この全ては脳の働きであり、自分という意思も脳の働きで作られている。


では、自分は脳のどこにあるのか?

それを知るためには、次の事実を受け止める必要がある。

・ 人間に人間の脳がなければ、言葉で考えることはできない。
・ 考えることができなければ、自分という存在は無い。
・ 脳に異常があれば、自分の持つ人格さえ変わることもある。

これらは、自分という存在が脳の中にあることを示している。

自分という存在は実体としては脳にある。しかし、それが脳のどこにあるかは、今後医学が明らかにすることと考える。


自分とは脳が作っている自分のこと

自分という意識が作られる前から、脳は入力されるもの全てから学習し、自分という存在を作っている。

自分という意識が未だない、産まれてからの幼少の時期に、たくさんの情報が脳に入力される。
それ以降も一生の間、意識があるなしにかかわらず、たくさんの情報が入力される。

自分の脳に入力されるものとは何か?
五感を通して入力される情報全てである。

自分の意思で情報を入力するようになると、自発的に学習し、自分の能力を高め、脳の働きの一部を積極的に作っていく。

読書、映画鑑賞、テレビゲーム、食べる物、友達、学校教育、スポーツ、ニュースなど全てが入力される。中でも好きなことにはより多くの時間をかけ、関係するより多くの情報を取り入れることから大きな影響を受ける。

子供が親に似るのは遺伝的なものだけではなく、幼少の頃に入力される情報の多くが親によるからである。子供の脳は親の影響を大きく受けている。

初期の段階の子供の脳には、情報がほとんどない。
親が子供に情報を与え、育てることにより、子供に自分という存在を作っている。
親の与える全ての情報により、子供の脳が情報を処理し、学び、親を手本に人間の模範を学んでいる。

子供は自分の存在を意識する前に、周りからの情報を取り入れ自分を作るため、自分に気付いた時には、周りの常識を受け入れ、周りの人々の言語を使い、国家、民族、宗教を受け入れ、同じような価値観を持つことになる。
同じ人間でもアメリカに産まれればアメリカ人、ロシアに産まれればロシア人になる理由である。
人間は産まれた社会環境により認識が作られてしまう。

人間であることに気付く前に、その価値観に束縛されている。
人間はどこの国で産まれようと人間であるが、その人間に与える情報で自分が作られている。


脳にある自分とは何か

考えることができるのは、言葉を使うからである。「ことば」は情報を伝えるシステムであり、人間は人間の言葉を使っている。

言葉の基本になる単語は、物に対応する名前であり、単語は物である実体の代わりである。つまり単語は五感から入力された情報から作られるイメージを含む言葉である。人間の考えは単語や文章から作られるため、イメージを含む言葉でできている。考えに実体はない。

一般的に自分とは、脳を含む体全体を表す言葉である。
体は脳が運用、管理しているが、その体の働きの詳細を意識することは普通ない。

手足を初め体を動かすことは自分の意思でできる。
自分の意思は脳の働きの一部であり、その意思は言葉を使って考えたものである。

考えることにより意思を作っている脳の働き、そう考えている存在が自分である。
存在と表現していても、実際はイメージであり、その存在が実体として在るわけではない。

脳にある自分という考え、イメージである存在が、好き、嫌いを含む価値観を持ち、思考と感情である認識を表す。

自分という存在は固定した考えではなく、活動している脳の働き、思考である。
体が成長し変化するように、自分という存在も変化していく。
自分という自覚は、言葉による考えでできた自分という存在であるからだ。


考えは言葉から作られる。言葉でできた考えはイメージのようにとらえることができる。
自分という考えに実体の存在はない。脳により自分という存在が作られ、それを在ると思い込んでいる。


50年前、脳の存在と働きがわかり始めた頃である。
それ以前、自分がいると思っても、その意味はわからなかった。
そこで人には心があると考えた。魂や霊がある考えた。
しかし、考えで作っても、それが何かはわからなかった。

このサイトでは、心とは人の思考と感情から作られる人の認識のことであると書いてきた。
その認識は、自分の持つ認識のことであり、価値観を意味することもある。
自分の認識は脳により作られている。

自分とは何か?
それは脳が作っている自分という意識のことで、活動している生きた考えである。
それは考えにより作られた姿、イメージとして捉えている。

自分とは在って、無いようなものと表現できるかもしれない。
脳が無くなれば、自分の存在も無くなる。

生まれる前に、自分の存在は無かった。
産まれてから自分という存在は作られ、人間の一生を経験し、年老いて他界する。その自分という存在は無くなる定めにある。
数百億の人間が生まれては、自分を作り、活動し、死んで行った。
自分に永遠は無い。脳が無ければ意識は無い。

この事実を人間として受け止め、人生を楽しみ、人類のために生き、自分を生かせれば、有意義な一生であったと言えるかもしれない。


* * * * *

その2

高度な知能を持つ生命体全ては、自分があると考えているのだろうか?
もしそうなら、何が自分を作っているのだろうか?
その答えは、「なぜ自分があると思うのか?」にあるように思う。

このサイトでは、人間が知的生命体である理由を言葉による考える力があるからと説明してきた。
高度な知能を持つ生命体全てに情報を伝え合う「ことば」があると考えている。

考えるとは、言葉により文章を作ることであると書いた。
「ことば」は大自然にある情報を伝えるシステムのことで、人間の言葉はその一部に過ぎない。

言葉を英語では何と言うのか? WORD(S)である。単語という意味である。
英語の表現 WORD 単語は、日本語の言葉ではわからない、本来の意味を表している。
単語は情報を伝えるシステムである「ことば」の一部であるからだ。

なぜ単語は情報を伝えているのか?

ワード、単語は、脳が物の名前などを五感からの入力により作っている。
実体を目で見た時に作られるイメージを実体の代わりとして使っている。

人間の言葉の元である単語は実体に対する五感の入力により作られるが、五感の中でも視覚の働きが特に大きいため、イメージが実体の代わりをしている場合が多い。
ワードは単語、イメージであり、情報を伝える言葉のことである

単語を並べると文章になる。文章は考えを文字で表したものである。考えている時、頭の中では、文章が作られている。

人は言葉で意思を表す。意思は人の持つ思考と感情から作られる認識である。価値観は認識の反応のことである。

意思は脳の働きである認識から作られるが、それは自分の意思である。自分とはそれぞれの人の脳が持つ認識のことであると考える。

自分がいるのは、脳が自分という認識を作り、そう思わせているからではないか。

* シリーズ20に、デカルトの「我思う故に、我あり」について書いた。
デカルトのいた時代、「私」の意味は十分にわかっていなかった。
考えている故に存在している「私」とは頭脳によって造られた「自分という意識」のことである、と書いた。


* * * * *

その3

大自然の無限に広がる宇宙には、情報を伝えるシステムがある。
情報を伝えるシステムを、このサイトでは「ことば」と表現している。
人間の使う言葉はそのごく一部である。

人間の言葉は前回書いたように、英語のワード、単語の意味から作られている。
実体である物などの代わりをするイメージである。

リンゴという単語は、実際に食べる時には実体であっても、食べてしまえば実体はなくなる。食べた後、記憶には残っていて、今食べたリンゴの食感、形、臭い、触感も覚えている。やがて忘れてしまう。後になって食べたリンゴを思い出しても、実体であるリンゴはない。リンゴという単語を使ってさっき食べたリンゴはおいしかった、あのリンゴをもう一度食べたい、と表現することはできる。

単語は実体の代わりのイメージ(正確には人間の五感からの入力から作られる)情報のことである。この意味は非常に重要であると考える。

単語から作られる文章、文章から作られる考え、考えから作られる私、自分という認識、自分の意思も含め全てが、単語のイメージから作られるからである。これらはイメージであり、元の実体から作られてはいるが、実体の代わり、代用品みたいなもので、イメージ、仮想のようなものである。

小説を元に映画が作られる。小説を読んだ時とは違う印象を受ける場合もある。
小説を読む時には、文章に書かれている単語から自分のイメージで想像の世界が作られる。が、これに対し、映画では、単語による個人のイメージではなく、映像そのものを見せられるため、想像する機会はない。

「ことば」は情報を伝えるシステムであると書いてきた。
単語、文章、考えは情報である。

写真や映像そのものは情報ではなく、実体である。
実体であっても、眼や耳からそれが入力される時(瞬間)から、それは情報に変わる。


情報とは何か
情報とは何かを、改めて考えてみた。
情報には、情報を伝えるもの(媒体)と、伝えられるもの(情報)が関係する。

何を伝えたいのか、何を伝えるのか、それは人の考えや願い、目的が関係する。
昔は情報を伝えるためは、話し言葉、書き言葉、絵、歌や楽器などを利用した。
伝えたいものとは、情報のことである。
その多くはことばにより意思、願い、考えを伝えることであった。
今ではそれに加え、それに代わり、写真や動画でも情報を伝えることができる。

情報は媒体によって伝えられる。声を伝える空気、映像を伝える電気、電波を伝える空間、振動を伝える物質、本の文字を読む人間の五感からの信号を伝える神経組織などがある。光も情報を伝える。

伝えられるものには音声による言葉、考え、映像、振動、五感からの刺激などがある。
伝えられるものは情報である。が、情報とは何か?
何から作られているのだろうか?

声は空気の振動である。影像も電波、電気信号の波で伝えている。眼から入る文字の情報も神経細胞を通る信号も波、地震の振動も波である。情報とは波のことなのではないかと考えた。
では、波とは何か?

40年ほど前になるが、光は粒子であり、波であると本で読んだ覚えがある。粒子は実体として捉えられるが、波は実体ではないと学んだ。
池に石を投げ入れると、波ができ、その波が輪になって広がっていく。
投げ込んだ石は動いていないが、波はその振動を伝えている。

波が情報を伝えている。しかし、情報自体は波ではない。波は情報を伝える媒体である。情報は波によって伝えられるものと考える。
波によって伝わるものとは何か? 投げられた石に池の水が反応しているが、波はその反応を伝えている。

音も空気の振動ではあるが、声や楽器の振動が空気に伝わっている。
声も楽器の音もそれ自体は同じ場所に留まっている。空気の振動の波はその反応を伝えている。音は情報であるが、情報は波ではない。波によって伝えられるものである。

人との会話は声で音の振動として空気によって伝わる。情報は音の波ではない。声は空気の振動によって音として伝わるが、空気振動の波に乗っている声の情報は何でできているのだろうか?

映像は電波ではない。画像の情報は電波に乗って伝わる。
その情報は電波そのものではない。
波に乗って運ばれる情報は何で作られているのだろうか?
何で出来ているのだろうか?

言葉である単語、文章に実体はないと書き、そう説明してきた。
言葉で作られる考え、人間の持つ認識、自分という存在にも実体は無いと書いた。情報も同じように実体は無いのだろうか?

これら全てが共通して存在がないように思えるのはなぜなのだろうか?
全てが波で伝わっていて、実体が伴わないからなのだろうか?
知らないだけで、波によって伝えられるものが実際にはあるとも考えられるのではないか?

現時点ではわからない。

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今は情報が溢れている時代である。
わからないことはインターネット等により簡単に答えを見つけることができるように見える。
しかし、見つかった答えは、答えなのだろうか?

専門家でないと答えられないから、専門家に頼るしかない。
その答えの責任は専門家にあるのだろうか?
答えを選択する自分にあるのだろうか?

努力すればわかる簡単なことまで、何でも人に頼り、自分で考えなくなることは、人間が知的生命体であることを放棄しているように見えてくる。それは人間の責任を忘れることであるように思える。


このサイトに書いた内容は主に自分の考えを書いたものである。
人間に完全、完璧、絶対はなく、間違いがあることを前提にしている。

単に偉い人が言った、学者が言った、専門家が言った、ということで人に責任を押し付ける傾向、現状があるように思える。人類は間違いだらけの世界の中にいるように思える。

人間には間違いや誤りを信じてはいけないという責任がある。
信じていけない理由は、あるがままの事実に反するからであり、また人間の、人類の進歩に反する行為であるからである。

人間個人は事実を見極めるために、自分でよく考え、吟味し、自分の責任で正しい判断をしていかなければならないと考える。

以下は作者不明? 知力の源:知恵のことばからの引用

事実とは何か。何度も、何度も、そしてまた繰り返す ・ ・ ・ 事実とは何か。
願望的思考を止め、神のお告げを無視し、星の予見を忘れ、人の意見を避け、隣人の考えを気にせず、推測不能な‘評決の歴史’も気にせず、そしてまた ・ ・ ・ 事実とは何か。
どこまで事実か。
先導はいつも未知なる未来に向かう。事実とは唯一の糸口。事実を捉えなさい。


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人工知能は自分を作れるか?

この世の中には、自分勝手な人間もいるし、自分を反省しない人間もいる。
自分は正しいと戦争を始め、多くの人を殺しても正しいことをしていると信じている人間もいる。
自分を信じ、自爆テロを起こす人間もいる。

こうした事実は、人間であっても、暴走する自分勝手な自分が作られることを示している。

人間には自分という意識がある。
それは人それぞれが持っている思考と感情から作られる認識のことであると書いてきた。

その認識は入力される情報により作られるため、一人一人違う。
同じ人でも成長や教育、環境によっても変化する。

自分が考えてはいても、認識の反応を意味する価値観が、その意思の背後にある。
考えは自分が作ったと思っているだけで、作られた認識による影響がある。

何でも考えられることは思考の無限の可能性を示しているように思えるが、実際は作られた認識に影響され、束縛を受けている。

人間が何を考えようと、完全に自分の考えだと言えるものはない。

科学を進歩させ、物質がエネルギーであることを発見し、原子力の力を利用するようになり、核融合によるエネルギーを作り出そうとしていても、その考えの元である太陽は50億年も前から存在している。

遺伝子を発見し、その応用ができ、人間の複製さえ可能に思えるようになっても、生きた一つの細胞さえ作れない。その遺伝子は数億年もの間存在してきたと考えられる。

人工知能が作られ、人間の能力を越えるようになる。
AI は自分を作れるのか?

人間によるAI が自分を作れるかどうかは別に、人間の存在は、自分という存在を作れることを証明している。ただし、私、自分は学習により、思い込みにより作られている。

人間の幼児が狼に育てられた実例がある。
狼に育てられると人間は狼になる。人間にはならない。人間には戻れなくなる。

人間は人間を学習することで人間になることを示している。
自分、私という意識は、言葉による考える力を得、環境を通して学習した結果である。


自分の意識により、何を考え、何になろうか、何を作ろうとするのか?

生命体全てにそれぞれ制限がある。人間はそれを理解し、その制限を守ることで未来を夢を追い続けることができる。
制限に気づかず、自滅に至る結果になるのであれば、自分という存在は何のためにあるのか?

人類という存在があるから、人間は未来に可能性を追求することができる。

高度な知能を持つ知的生命体は人間だけではない。物理学者のスティーブン・ホーキング博士は宇宙にはたくさんの生命体がいると考えられ、皆同じように文明を進歩させていても、その多くは消滅していると語った。

人類は、人類の歴史から教訓を学ばない、という事実に注目し、人類に可能性を残せるように考えることが重要と考える。

自分の意思を持ち、何でも可能な世界を目指すことではできるが、自分の存在がないのであれば、それはできない。

生命体がなぜ存在しているのか? 誰かが、何かが、人間を造ったしても、その起源を追求することになる。 

宇宙の始まりがビッグバンから生じ、今も宇宙が光を越える速さで膨張していることが事実であるなら、生命体が存在する理由も、物質が存在し重力があるように、初めからあったことになる。
遺伝子を含む生命体すべての存在理由はそのビッグバンにあり、未知なる法則が無限に存在しているのかも知れない。


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自分のまとめ

元々自分という言葉に意味があるのだろうか? わたし、自分は脳にある。

自分とは脳が育て、作り上げた思考と感情という認識を持つ存在のことで、実体は人間そのものであり、脳の認識から作られる、自分というイメージのことである。

実体としては自分の体全体を意味する。それは人間である自分のことである。

人間に意味はあるのだろうか? 難しい質問である。
人間は、意味があると考えれば、あることにすることができる。

全ては言葉による考える能力によって存在する。


マイケル アレフ 2024年6月