マイケル アレフのことばの不思議な世界
人間は作られた存在か?
人間が作られた存在であることは間違いないと考える。ただし、作られたという言葉の理解には問題がある。
人間には作るという意味を人間の枠を越えて考えることはできないからだ。言い換えるなら、作るということばは人間の思考の枠の中での表現に過ぎない。
簡単に言えば、生命体が遺伝子で作られていることがわかっても、物質はエネルギーであり、様々な元素から作られているかがわかっても、星も、宇宙も、そこにある法則、仕組みがあることがわかっても、誰が、なぜ、どのように作ったかは全くわからない、わかっていない。
人類が使っていることばは情報のシステムであっても、人間の世界を基準として造られているため、人間にわからないことは想像により、自然、神様等ということばで代用してきたように思われる。
人間の造り主、創造者という考えは人類の文明が始まった頃からあるが、その当時に地球という考えはなく、地はどこまでも行っても平らであったとされる。人間の造り主は、宇宙の輝く星ではなく、身近に見える太陽のように強大な存在と考えた。
それから中世に至るまで、地が宇宙の中心であり、地が球体であることが発見され、太陽を中心に太陽系の一部になっても、造り主、創造者の存在は変わらなかった。
文明がこれほど進歩している現在でも、人類の大半はその当時の考えを引きずっている。
太陽系の存在がある銀河系(天の川銀河)には、2000億以上の数の太陽がある。ここ数十年の間に、宇宙は拡がり、2兆を超える銀河の存在が明らかになっている。
これだけ科学の世界では認識が変わり続けているのに、人間の創造者に対する大衆の認識は基本的には変わらず、今も6000年前と同じである。
宇宙にある仕組みは、その誕生から存在しているように思える。
人類が発見してきた物理の法則等はすべてその仕組みの一部であると考えられる。
生命の誕生は特定の条件がそろうと自然に発生する現象と考えられてきたが、自然現象ではなく、その背景を理解していないだけのように思える。
人間にはわからない対象であっても、自然は偶然などではない。人類には知らないことが未だ無限にあると考えられるが、全ては宇宙の仕組みの一部である。
例えば、光合成は植物(葉緑体)が光と水と二酸化炭素により、養分(でんぷん等)と酸素を作り出すことであるが、これは条件がそろえば自然に起きるのではなく、光合成という仕組み、システムがあるから起きると考える。人類はその仕組みを利用して大量の食糧生産を行っている。
その条件がそろえば自然に起きるのではなく、その条件で動くように宇宙には仕組み、システムがあることに注目する必要がある。
その意味で、生命体すべては作られたものであると考える。
よって生命体の自然発生という考えは除外される。
宇宙の仕組みそのものは、設計者、造り主、創造者の存在を意味しているのだろうかという質問が生じるが、設計者、造り主、創造者も人間という思考の枠の中での表現であり、その枠の中に答はないと考える。
答があったとしても人間の理解を越えている。人間が想像できるような存在とは思えない。人間にとっては無限、無限を越える存在、永遠を超える存在のことであり、人間が理解できる範囲に答は無いと考える。
もしわかるようであれば、人類を含めすべての知的生命体の存在理由が無くなってしまうことになるように思える。
無限に広がり続ける宇宙の中で、あらゆる知的生命体は与えられた命を活用し、時を越えて真実を追究し続けることが、その存在理由であるように思える。
2020年11月 マイケル アレフ