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マイケルアレフのことばの認識は世界を変える

2021年8月  シリーズ5 感動することについて の見直し
美しいと感動しても、美しさはないのであれば、その感動は何なのか?

シリーズ6に美しさはない理由を説明した。美しいという実体は無い。
それなのに、感動するとは、どういうことか?

感動に本当も偽りもない。感動することは現実である。人間としての認識はその通りであると答えている。

しかし、それは人間の機能として感動が作られているから、とも言える。
感動は脳による思考と感情の働き、心の働きと表現できる。
遺伝子によって造られた脳の働きである。

個人が経験する感動は、美しいと感動するように本当であるが、それは人間の機能の働きの結果であり、人間の機能として、そう思っているだけという意味のように思える。

感動には対象となるものが実際にあるのか? という質問が生じる。

美しさは無くても、美しいと感じさせる実体はある。では、感動するのはなぜだろうか?

シリーズ5に、感動の対象には大きく分けて二つあることを書いた。大自然とその中の人間である。大自然は主に五感によって直接的に、人間に関連しては知能の働きによって、その素晴らしさを認識する。

見る、聞く、食べるなどの五感によるものは、直接的に脳に新しい刺激を与え、素晴らしいという感情を呼び起こす。

五感による新しい刺激、新しい対象といっても、今までの経験に頼り、比べていることを理解する必要がある。

新しい物を見ると言っても、全く知らない、見た経験の無いものではない。素晴らしいと言っても、どこかに見た経験はある。見た経験の無い物を見るなら、それが何かはわからない。

シリーズ6に、目の見えなかった人が、生まれて初めて目が見えるようになる時、脳には視覚による情報はないため、見えるものが何かはわからない、と書いた。

人は脳にある情報を比較することで、見ているものが何かを判断している。
見ているものに関する情報がないなら、見ているものが何かはわからない。
脳は視覚の持つ限界を越えて認識することはできない。

聴覚も同様である。
全く新しい、素晴らしい音楽だと感動しても、全く知らない、聞いたことの無いものではない。少なくとも音は知っている。
素晴らしいと言っても、聞くという機能が働いている。聞いているものがわかるから素晴らしいと反応できる。
聞いた経験がないなら、認識することはできない。感動することもない。

人間の持つ五感による感動は、直接的な刺激によるものであっても、それまでに脳に蓄積された情報に依存しているという意味である。五感は脳によって認識される範囲内でなければ、その機能はあっても、認識できない。

美しいと感動する時、実体による脳に対する刺激はあり、美しさではなく、脳が美しいと反応している。つまり、美しいと感動するのは、美しさがあるからではなく、生まれてから作られてきた脳の反応である。それが、美しいと感じる対象が人によって異なる理由であり、答えである。

同様に、感動を呼び起こす刺激となる実体はある。その刺激となる実体は人によって違う。それはその人の経験を通して作られた脳の働き、思考と感情で作られた認識が違うことによるからである。


感動があるのは、人間が生きる喜び、生きることの素晴らしさ、希望、意義、目的を持つためであると考える。その理由は、人間がことばと高度な知能を持つ生命体であるからである。
知的生命体である人間であるから、素晴らしいと感動できる。この意味を理解し、大切にすることが人間としての、人類としての責任に思える。



2021年12月
「幸せ」が素晴らしいと感動することと同じではないかと思えるようになった背景について
感動する部分について、五感の働きには以下のように共通している部分がある。
* 対象の何が感動させるのかがハッキリしていない。
花であれば花の色なのか形なのか、色なら色の何が、形なら形のどこに感動させる理由があるのか、全体ならなぜなのか。
わからないのは感動の理由が単に対象にあるのではないからだと考える。

* 感動は時間と共に薄れていく。同じものでは直ぐに慣れる、すると直ぐに忘れる。直ぐに飽きる傾向もある。初めてと同じ感動を得ることはできなくなる。
同じ感動を得たいと思ってもそれが無理に思えるのは、対象だけでなく、自分も、周りの環境も全てが時と共に変わっているからと考える。

* シリーズ5 感動についての中に、五感の感動表現が少ないのはなぜかという理由を以下のように書いた。五感すべてに共通して少ない表現しかないことから、共通の理由があると考えられるのではないか。

ア.少ない表現の方が分かりやすく、意思の疎通がしやすい。

イ.現在はあらゆるものが多様化し、情報が溢れてしまっているが、昔はこれほど複雑なものはなかった。単純なものという対象しかなかったからではないか。

ウ.その他の理由 

五感の働きに感動表現が少ないのは、共通している働きが同じ脳にあるからと考えるようになった。ウに、これを付け加えたい。

幸せが価値観であるというのは、幸せは思い込みで作られていて、実体はないという意味である。価値観はあると思い込めばあるものであり、無いと思い込めば無いものである

幸せも感動表現であると考える理由は、
対象があると思っていても、何が幸せなのかよくわからない。
幸せになったと思っても、直ぐに慣れるし、時間と共に薄れていく。
脳がないなら感動は無いのだから、幸せは脳の働きである。


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2017年9月
 ことばの認識は世界を変える シリーズ 5 
    感動することについて  
なぜ人は感動するのか
 1. その背景について
 2. 感動する対象について
 3. 感動するとは何か / 五感の表現の少ない理由について
 4. 感動することに見られる共通の要因について
 5. 人間がすばらしいと言える理由


1. なぜ人は感動するのか、その背景について

人の一生には寂しい時も、悲しい時も、苦しい時も、つらい時も、むなしい時もある。
すべてが明るく希望に燃えた、楽しい時もある。
その人のその時の状態で、見るもの、聞くもの、味わう物等に対する感じ方は違っている。

心から感動した絵や歌でさえ、その時の感動は時と共に変わってしまう。
あの感動をもう一度味わいたいと思っても、
そう感じた自分はもういない。あの時感動して涙を流した自分はもういない。
自分だけではない。すべてが変わってしまった。
今、変わってしまった自分が見ると、同じ絵も歌でも、同じ感動を味わうことはない。
あの頃の感動を思いだし、懐かしく思うだけである。

人は同じ感動を維持することは出来ない。
美しい花でさえ、初めて見た時の感動は時と共に薄れていく。
これは人間の生まれつき持っている感性の定めと言える。
人間は同じ状態にいることはない。絶えず変化している。すべてが変わっていく。

心が作品に共鳴する。作者の世界に引き込まれ、別の世界に自分がいる。
絵であったり、歌であったり、小説であったり、映画であったり、食べ物であったり様々だ。
その世界に圧倒される。素晴らしいと絶賛し、自分の命の価値すべて、永遠の瞬間にさえ感じる。

時代の変化と共になぜヒット曲が生まれるのか。なぜ映画がヒットするのか。共通するものがあるように思える。

世代が変わっていく。その世代と共にあった出来事、夢中になったアイドル、歌、つらく苦しかった時間、楽しみも、悲しみも、思い出も、すべてが過ぎ去っていく。
それに代わり新しい世代と共にあらゆるものが生まれていく。


2.感動する対象について

これは学ぶことの究極にあるのは何か という質問に対する答えのようにも思える。
映画、旅行、音楽・美術鑑賞、国際交流他、何を学んでも経験しても、収束して一定の考えにたどり着くように思える。 ・ ・ ・ それは自然と人間のすばらしさであると思う。
感動の対象は、大自然と人間の働きの二つに要約されるのではないか。
なぜなら、人はそれ以外の存在を知らないからとも言えるからだ。

どんなものに「素晴らしい」と感動するのだろうか。人によって違うと思うが一般的なものを書いてみた。

美しい大自然:
自然界に見られる 青い空、白い雲、光の芸術 虹、オーロラ、満天の星空、広大な宇宙、四季折々の景色、桜の季節、川の流れ、滝、真夏の太陽と青い海、ひまわり、魚の群れ、紅葉の季節、湖、色とりどり山々、雪景色、雪の結晶、植物、昆虫、動物、人間、生命、宝石、・ ・ ・ 

大自然の一部の人間に関連するが、感動するものとして人と作品がある:
以下の作品のそれぞれには数えきれないほどのものがある。
絵画、映画、本、小説、話、歌、音楽、曲、花火、工芸品、電飾、和服、洋服、建造物、料理等、それに人の素朴さ、親切な行為、謙虚な姿勢、やさしさ ・ ・ ・

たくさんの作品があるが、そのほとんどは人と関連している。感動するのは人間のすばらしさを知ることにあるように思える。作品の出来具合、内容、テーマ、表現力、作者の意図、新しさ、美しさ等様々な要素はあるが、すべては人と関わりがある。
さらに人間の持つ資質、スポーツ選手等の目標に向かって絶え間なく努力する姿、ひたすら生きるために頑張る姿、互いに助け合う姿など、あらゆる角度から見た人間の素晴らしさに感動するように思える。

人の作品を通して感動するのは、読書にしても、映像によるにしても、見えないものが関係するように思える。
それは人間としての励ましとなる資質、人の謙虚さ、人のやさしさ、誠実さ、助け合い、愛情、など ・ ・ ・ みな人の心が関係している。
人が心を動かされるのは、人が持つ認識が心と深い関係があるからのように思える。

人の心はその人がそれまでに培ってきた知識、知恵は勿論だが、作り上げてきた思い、願い、夢、精神等が深く関係しているように思える。
作品に感動するのは心の共鳴であると表現できるかもしれない。


意味は多少違うかもしれないが、これら以外にも感動することはあると考えられる。
ただし、「素晴らしい」という反応ではなく、むしろ自分の「幸せ、うれしい」という気持ちのことであるように思える。

今まで自分が一生懸命に努力してきた成果が認められ表彰される時に、感動をおぼえるかもしれない。それは「うれしい」という自分のことである。

高額の宝くじが当たったて、天にまで登る気持ちになり、これですべての夢がかない、お金の心配しなくてもよくなるという思う時も、感動すると言えるかもしれない。これも「幸せ、うれしい」であり、「素晴らしい」ではない。

人の認識にもよるが、こうした例は未だあるだろう。


3.感動するとは何か

脳と外の世界を結ぶのは五感である。五感を通して脳があらゆることを認識している。
五感とは目・耳・舌・鼻・皮膚を通して生じる五つの感覚。視覚・聴覚・味覚・嗅覚(きゆうかく)・触覚のことである。

感動とは、脳がこの五感を通して強い印象を受け、感情に伝わることを意味していると表現できるかもしれない。その人の持つ認識と関係している。

五感を通して今まで経験したことのない新しいもの、新鮮なもの、素晴らしいものを脳が意識し、感情に伝える時の表現として感動ということばがあるのではないか。
文字通り感情が動くことでもあると言える。
また、いままでの経験の中でも、忘れていたものを思い出すことに関連して、感動したことを思い出すこともある。

泣く、涙を流す、気持ちが高ぶる、心を打たれる、感心する、胸にしみる、興奮することも、驚くことも関係しているように思える。

度合いもある。少しの感動、とても強く感動する場合もある。

時間も関係するように思える。脳が認識するのに時間がかかる場合もあるからだ。
すぐに感動する、じわじわと感動する、時間が経つにつれ、しみ込むように感動するなど。

長い間わからなかったことを理解できた時に感動する等もある。


脳は基本的に五感を通して、眼で見て、耳で聞いて、舌で味わって、匂いを嗅いで、触って感動する。
重なる場合もあると考えられる。それぞれに感動表現があるように思える。
眼の場合はとても美しい、なんと美しい、などと表現し、
耳の場合も美しい音楽、美しい曲だ、ノリのいい曲だ。
舌の場合は、うま〜い、すごくおいしい、絶妙な味だ
匂いの場合は、とてもいい香り
触る場合は、とても良い肌触り等と表す。

また共通した表現として「素晴らしい、最高だ」なども使われる。

何に強い印象を受けるかは人によって違う。
見ることに強く反応する人もいれば、音に強く反応する人もいる。
匂いに敏感な人、味に敏感な人等さまざまである。
教育・訓練によっても変わってくるとも考えられる。


気付いたことであるが、五感それぞれの表現は非常に限定されているように思える。

例えば、味には甘味、酸味、塩味、苦味、うま味はあっても、感動の表現としては「美味しい、うまい」と言う表現以外に多くの表現があるようには思えない。
味は食品によっていろいろと違う、大変な数のものがある。
魚にしても沢山の種類があり味は違う、生で食べたり、焼いたり、煮たり、調理の方法によっても味わい方は違う。肉の種類もいろいろだ。たくさんの料理方法がある。
数えきれないほどの食材、たくさんの調理方法があり、数えきれないほどの味があるにもかかわらず、表現としては「美味しい」しかない。
何が出されても、表現としては「うまい。美味しい」など少ない。

見るものも数え切れないほどあるのに、表現としては「美しい」など数えるほどしかない。
音に対しても、においに対しても、感触にしても、表現は極めて限定的である。
それはなぜだろうか。

わからない。正確さに欠けると思うが、理由について少し考えてみた。
五感すべてに共通して少ない表現しかないことから、共通の理由があると考えられるのではないか。
ア.少ない表現の方が分かりやすく、意思の疎通がしやすい。
イ.現在はあらゆるものが多様化し、情報が溢れてしまっているが、昔はこれほど複雑なものはなかった。単純なものという対象しかなかったからではないか。
もしこれが理由にあるなら、違う表現が出てくる可能性はある。
ウ.その他の理由もあるだろう。 

これが理由で五感に関連する表現が基本的に単純で、直接的、感情的になる
のではないか。


4.感動することには共通の要因があるように思える。

あの時こんなにおいしいものは無いと思った経験は誰にでもあるだろう。しかし、時を経て同じものを食べても同じように感動することはない。おいしいと思っても大抵は同じ感動ではない。新しい経験ではなくなるからである。

若い時に夢中になった歌も曲もある。しかし、時を経ると、あの時に感じた感動、夢中にさせたものはない。感動は思い出として脳に記録されているので、懐かしさを思い出すことはできるが、同じ感動を経験することはできない。新しい経験ではないからである。

新しい、新鮮な経験こそが感動することの共通の要因であるように思われる。

若い時は、今までに経験したことがないことがたくさんあるので、新しい経験、新鮮な経験をする機会に恵まれる。
若い時に感動する機会は多いと考えられる。
それ故、若さを無駄にせず、若い時期にたくさんのことにチャレンジし、経験し、新しいものにぶつかり、その経験を通して人間のすばらしさを実感することが、若さの特権のように思う。

ここに遺伝子の影響も考えられる。結婚適齢期に近づくと若い人たちは感動することが多くなると考えられる。

もう50代の初めの頃だったと思うが、「最近感動することがないなあなど」と友人と会話をしていた頃、40代に入ったと思われる男性が「最近感動が多くて、多くて」と言って、困っている様子だった。
よく話を聞いてみると、最近結婚相手が見つかって婚約したとのことだった。
なるほど、「感動が多くなるわけだ」と思った。

新しいことに挑戦する、新しい物を作る、初めて食事を作るなども感動する機会となる。
初めての時は失敗も多いが、感動する機会も多いと考えられる。

今までに培われた認識の中に、感動するヒントがあるように思える。
心はその人の認識と感情から生まれる状態を表すと言えるかもしれない。
認識の中には自分を育ててくれた両親に対する感謝の思い、たくさんのことを教えてくれた学校の先生、一緒に時を過ごした仲間たち、友人たち、兄弟、姉妹、突然の初恋、憧れ、失恋、一緒に遊んだ動物、犬や猫、鳥、虫を取って遊んだ幼い頃の思い出などが含まれている。
その人の願い、夢、精神、経験、考え等が深く関係しているように思える。

感動する内容は人によって違っているが、新しい経験であることは共通しているように思える。その中でも、母親にとって、父親にとっても、初めて自分の子供が生まれる時の感動ほど大きなものは無いかもしれない。しかし、子育ては想像を超える大変さが関係するので、すぐにこの感動は忘れてしまうことが多いように思う。


5.人間がすばらしいと言える理由

人間は一人では生きていけない。人間が社会を作ってきたのは、助け合い、協力しあうことで、危険に対処し、安全に生活するためである。
共に喜び、楽しみ、働き、共に生き、子孫を残して行くためである。

感動することは、人間だけが人間であるが故に経験できることである。
「人間は素晴らしい存在である」と考える理由の一つと言える。

人間はことばと考える知力を持ち、未来を創る存在である。
人によるとは言え、謙虚さ、誠実さ、感謝の気持ち、隣人愛、人類愛を示すことができる。
その人間性に素晴らしいと感動する同じ人間は、なんと素晴らしい存在ではないだろうか。

その素晴らしさは、純粋に受け止めることが必要だ。
その際、同じ人間の無理解と愚かさにより、その感動を曇らせてはいけない。
感動することは、「人間が素晴らしい存在である」ことの意義を示すものであるからである。