マイケルアレフのことばの不思議な世界
ことばの認識は世界を変える
シリーズ22 自由、 約束と信頼、そして責任 その1
自由とは制限を持たない可能性のことである。しかし、生命体すべてには制限がある。
人間にも生命体としての制限があり、それに加えて人間社会に対する責任がある。
人は人間の社会からの支援を受けなければ生きることができないからである
人間の持つ自由とは、人間であるという制限の中で、その責任を知り、理解し、責任を果たしながら、可能性を追求することである。
「人々が神様にお願いしても、自然災害はその願いに関係なく襲ってくる。止めることはできない。人類はその理由さえわかってきている。人類社会の助けこそ現実的で、真実で、確かなものであることに気付くようになってきている。
人間は確かに当てにならない部分、利己的な面は今でもあるが、社会として、人類として成し遂げてきたことは多く、確かな存在であることを実証してきた。人類として協力し合うことができるなら、これほど確かなものはない。」
「疑いは疑いを呼び、憎しみは憎しみを増大させ、信頼を破壊し、争いを産む。信頼は社会の基盤である。信頼は約束を守ることにより築かれる。
信頼を築き上げ、信頼を回復させることを優先しなければならない。」
人間同士の信頼に基づく協力は、人類の救いの源である。
人間は愛する人達と別れる定めにある。人間の悲しみ、虚しさ、辛さを解る神がいるなら、放っておくことはありえない。しかし、有史以来、人間の世界は悲しみと虚しさの世界だ。人間は耐えるしかない。
願っても答える神はいない。人類を救える神はいない。人類に介入する神はいない。人間に理解できる真実の神はいない。神が人類社会に介入することは無い。神に願うこと、期待することは間違いである。うまくいくことがあっても、神のご利益などではない。
神に代わり、人類を信頼できる存在にすることこそ大切だ。
現時点で、助けに答えてくれるのは人間と人間の社会だ。
人間が信頼できれば、人類は助け合うことができる。
確かな土台を築くことができる。幸福と安定を手にする存在になれる。
人間は人間の悲しみを、むなしさを知っている。
問題は、人間は人間を信頼できるか、どうしたら信頼を築けるかである。
人間は基本的に利己的な面を持ち、約束は破るし、嘘をつく。勝手な思い込みで行動する。他の国は信頼できない。自分の国も信頼できない。同僚も、友達も、家族でも、全てを100%信頼できる人はいない。
人間は絶えず疑う心を持っている。しかし、人間の疑うところに、人類の進歩があった。人類の進歩は疑問を持つこと、疑うことの上に成り立っている。
人のことばは信頼できない。利己的だ。間違いや故意の嘘もある。ことばは頭脳の働きだ。人間の考えにも間違いがあり、100%信頼することはできない。
とは言え、人間の疑うこと全てに問題があるわけではない。
何を疑うのか、何を信頼するかを考える必要があるのではないか。
人を信頼することと、人を疑うことには相反する働きがあるのだろうか。
自然界を疑うことは、人間の間違いに気付くために必要でも、人間に同様の疑いを持つこととは意味が違うのではないか。
人を疑うのは、むしろ自分の利己心、妬み、貪欲、高慢さが関係しているように思える。そこから思い込みが生じるのではないか。人間を信頼できないのは、思いこみを作るからではないか?
信頼は築くもので、初めからあるものではない。信頼を築けば、信頼度を増すことができる。
信頼を築くとはどういうことか。基本的に、約束を守ることである。
嘘、偽りをなくすことである。正直、誠実であることである。責任感をもつことである。
自分の妬み、利己心、貪欲、高慢さをなくすこと、思いこみをなくすことである。
基本的に、
約束とは何か ・ ・ ・ 未来を決めることである
責任とは何か ・ ・ ・ 約束を守ることである
つづく
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