思い付き ★ 9 一生を「今」と定義する
シリーズ2「過去と未来について」の中で「今」は瞬間のことだけではなく、一日、一年、広くは現在を表すと考えることができ、現在を人の一生としてとらえることもできるように思う・・・と書いた。
人類が生まれる前、時間はなかった。人類が生れてからもしばらく時間はなかった。
自然界に見られる周期から一日ができ、ひと月ができ、一年ができた。一日を細かく分け、一時間、一分、一秒ができた。
時の流れを考えるのは便利であるが、それは人類が作ったものである。
学問である数学も物理学も元々あるのではなく人類が作り上げたものである。元々あるのは宇宙、大自然のような存在に思える。人類はそこに周期性と秩序を見出した。
元々時間はなかった。時間は人類が作り出したものである。時間に縛られることは、人類が創ったものにより、縛られることと同じであるように思える。
人類は神を作り、神により善悪を作り、人間に制限を課してきた。
人間は悪魔を作り、恐怖をあおり、呪いも呪縛も自らに課してきた。
わからないという理由から、無いものを作り出し、作ったものに縛られてきた。
三省堂大辞林によると、「今」とは過去と未来の境をなす瞬間のことである。
しかし、個人的には過去と未来の境をなす瞬間があるようには思えない。すべては連続しているように思える。ビデオカメラで撮影すると、現在同時進行していることがすべて過去になる。
過去は記録のことと考えるが、時間でいう過去は無いように思える。変化を時間がうまく説明してきただけではないか。
過去と未来の境である今という瞬間は存在しないように思える。実は、過去も未来もなく、連続する今があるだけではないか。人間には今しかないように思える。それは瞬間の今だけではなく、一生が、人生そのものが今といいう現在の中にあるという意味ではないか。
一生は今である。一生とは今のことである。人生およそ80年、生きている間は今のことである。過去、未来の間の今という瞬間ではなく、連続する時間の意味の今であり、現在のことである。
今は瞬間のことだけを意味しているのではない。これは「今」の新たな定義かもしれない。
それぞれの人の一生のことであると定義できるのではないか。今がすべてであると。
今は脳の働きにより自分という存在がある時のことを意味する。
今を実感できるから、命があると理解でき、自分の存在がある。
それはその人が生きている間、一生のことである。人生のことである。
人は皆、今を、それぞれの人生を生きている。
マイケルアレフ 2018年6月
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