ことばの認識は世界を変える IV 人権についての中で、
「動物には生きる権利はあるのか」に関連して以下のように書いた。

人間以外の動物は高度に発達した言語を持っていないから、考えることも、話すこともできない。自分たちから主張することもできない。人間が思いやる気持ちをもって初めてその事実に気づく。

ここに書いた「その事実」とは何を言っているのか。

「動物は、人間のように高度に発達した言語を持っていないために、考えることも、話すこともできない。「自分たちが何をしたいのか」、「何をして欲しいか」も言うことができない。主張することもできない。だから「人間にはわからない。理解できない。」と思い込んでしまう。また、そう決めつけてしまう場合がある

動物の中には、声をあげ、騒いだりして、感情を表現することができるように思えるものもある。しかし、意思の疎通ができないため、人間が理解することはできないように思える。これが理由で、人間だけが生きる権利を持ち、人間以外の動物には「生きる権利はない」と思ってしまう。

人間の「わからない、理解できない」は人間以外の動物には「生きる権利」さえ、否定する理由につながる。

ここでは、動物について書いたが、弱者と呼ばれる人間のお年寄りを含む幼児、精神障碍者などに対しても「わからない、理解できない」という点では共通している面もあるように思える。ただし、人間だけは、幸いなことに、人間であるというだけで、特別扱いを受けている。

重要なことが指摘されているように思える。基本的なことだ。
人間に思いやる気持ちがないと、「わからない、理解することができない」ということになり、理解できなければ、他の存在を否定することにつながる可能性があるということだ。

これをとどめるのが人の「思いやる気持」である。思いやる気持ちとは、「相手のことを、相手の立場になって考える」ことであり、人間だけが持つことばによる思考のことである。それは知力のことである。しかし、それは同じ人間であるから言えることであり、動物だけでなく植物、昆虫、魚に対しても同じことは言えない。

人間のことばによる思考がいかに重要かを明確に示すものであると言える。

マイケルアレフ 2017年10月

赤文字
で修正を書いた。 2021年5月
理解できないのに、理解しているかのように思いやりを示すことは間違いに思える。
思いやりを示しても、理解していない、理解できないなら、思いやりは間違いであり、偽善である可能性がある。人間には人間としての思考にも限界があり、わかり得ないことがあることを認識することも大切に思う。