思い付き ☆16 人類が生き残ることが全てに優先されるべきか?
個人に死がある限り、個人に永続する未来はないように思える。
個人の未来が続くためには子孫に希望を託すしかない。
子孫といっても自分の子供や孫のことではなく、人類としての子孫である。
託すにしても子孫を死ぬ定めに置いたことに変わりない。
何をどんな未来を願って子孫に託すのか。
長寿と平和を求めても、それは未来の子孫が直接考えるべきことになる。
我々過ぎ行く者にはそう願うだけしかないように思える。
人が未来と言っても数十年、わずかな時間のことでしかない。
子孫がいなくなるなら、人類は存在しないことになる。
人類が生き残ることが全てに優先されるべきなのか?
誰のために、何のために、人類は存在すべきなのか?
人類の存続を願う理由は何か?
人類の存続こそ一番大切だと思っていても、その考えに間違いはないのだろうか。
絶滅した古代の恐竜の存在のように、痕跡があれば、加えて十分な情報さえあれば、復活させることも可能に思える。人類もそれで十分ではないか。
人類が存在したという記録を残すこと、ヒトゲノムのサンプル、人間の情報等を残せば十分ではないか。
しかし、人類以外の知的生命体により人間が再生されるなら、それはどういう意味があるのだろうか?
未来の話 (あり得ない話?):
「西暦2200年、高度に発達した文明を持つ地球外知的生命体は、絶滅した人類が残したサンプルにより、人間一人を再生した。再生された人間は教育により人類の終末を知ることになった。
人類は文明の発展に人間として適応できず、自滅した。科学が進歩し、人工知能の進歩により、便利になった面は多かったが、利益追求の社会により、それが機能しなくなると、争いの原因になった。多発する自然災害に協力して対処することができなかった。
再生された人間は、人類が宇宙の中の唯一の知的生命体と信じていたことが、間違いであることを理解した。また、自分を再生した知的生命体の存在が自分とよく似た存在のように思えた。しばらくして、実に重大な事実を知らされた。
人類のサンプルから自分を作り出したのは、人類と同じ遺伝子を持つ生命体であったのだ。そして、宇宙にはヒトゲノムの遺伝子を持つ知的生命体が無数存在していることを知らされた。」
宇宙には2兆もの銀河の存在がある。
太陽系が属する銀河系(天の川銀河)だけでも1000億以上の恒星(太陽)がある。地球のような天体は数えきれない程あるかもしれない。単純に考えても、宇宙にはそれが2兆もある。その数字が意味することを理解することさえ困難だ。
人類の存在があるという事実は、未知の知的生命体の存在のあることを明らかに示している。もちろん、遭遇するまではその可能性を認めない人はいるだろう。
かつて、わからないからという理由から、人間は神により創造され、地球も特別な天体であると信じたことと同じように思える。
分からないから存在すると信じることは間違いである。
分からないから存在しないと信じることも間違いである。
つまり信じることに間違いがある。信じることが許されるのは、100%間違いがないことの上にあるべきであるからだ。
分からないなら、信じる対象にはならない。
しかし、現実を認め、可能性としてとらえ、考える必要はある。
二兆もの銀河の存在から、知的生命体の存在の可能性について以下のように考えることはできる。
知的生命体は複数存在する。
宇宙には、知的生命体の種類も無数にあると考えられる。
人類と同じような生命体が数えきれない程いてもおかしくはない。
人間と同じような存在も当然あるだろう。
もし同じ人間だとしたら、好戦的な存在だろうか。
人類だけが人類ではないとはどういう意味か?
地球上の人類の特異性という意味を失うことになるのか?
人間の意味に変化が起きる?
知的生命体には目的があるか?同じ目的か?
宇宙に意思はあるか?
生命体が存在できる環境があれば、
ことばを持っている。
ことばの媒体は違っても、「ことば」という情報を扱うことは同じであるように思える。どのようなことばで考え、意思の疎通をするかはわからないが、「ことば」は情報を活用する道具を意味することから、高度な知能を持っている生命体は「ことば」を持っていると考えられる。
人類と意思の疎通をする方法もあると考えられる。
ことばとは情報を処理するシステムのことであり、ことばがあれば、意思の疎通が出きる。それぞれの知的生命体が自分達の世界を形成し、文明を発展させている。
文明には人類が持つ数学、物理学などを含み、発展段階にもよるが、文明の必然性から原子力や素粒子の学問が作られると考えられる。
知的生命体は自分という意識をもっている
物理学者のホーキング博士が言うように高度に発展した文明は滅亡する。ただし、大部分はそうであっても生き残る文明があってもいいのではないか。
では、なぜ知能を持つ生命体が存在するのか。
宇宙そのものに生命体を造り出す理由があり、それぞれが知的生命体として存在するため、共通する理由があるように思える。
その理由はわかるのだろうか。
人類が存続できればであるが、わかるようになる可能性はある。
他の知的生命体がすでに研究しているかもしれない。
「人類の存続こそ、人類にとって最も大切なことだ」と思っていたが、それは「人間は神により創造された特別な存在であり、地球も同様に特別な天体」という考えに影響されきたからであるように思える。人間が無知でそう信じ込まされてきたからとも言える。
宇宙に知的生命体の種類も、数も無数にあると考えるなら、人類だけを特別な存在と考えることはできない。無数に存在する知的生命体の一つと考える方がふさわしいように思える。
人類の存続だけが重要である、とは考えられない。
宇宙の中の一知的生命体である人類として考えることが必要になる。
人類を宇宙の中の無数にある知的生命体の一つの存在として考えるように修正していく必要を感じる。
人間が存在していることは、知的生命体が無数に存在することの証明であると考えるからである。
実際に知的生命体との遭遇は、新たな移動手段等が開発されない限り、未だずっと先のことになるかもしれない。宇宙はあまりにも広大な、無限に広がる空間であるからだ。
マイケル アレフ 2020年1月
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