正しい歴史?

「正しい歴史」を知りたい方だけ開封してください」というダイレクトメールが届いた。
正しい歴史があるということは、間違った歴史もあるという意味だろう。
しかし、正しい歴史、間違った歴史などと言うものはあるのだろうか。
過去とは起きた現実があっただけのはずである。

歴史を遡って、真実を追求し、以前教えられていた歴史は間違っていると立証したとしても
起きた現実は変わるとは思えない。

言い換えるなら、歴史の解釈が正しいとか間違っているという意味だろう。認識が変わるだけである。
歴史そのものが変わったら、過去が変わったことになる。
起きた現実は変わりようがないはずである。

記録には誤りがある。人間が残した記録であれば悪意も、偽善も、間違いも含まれる。
書いた人の主観も解釈も関係する。
それがそのまま現実にあったはずである。それ故、人の書いた歴史には間違いが存在することはありえる。しかし、歴史そのものは変えようはないはずである。

人類が文字を使い始めてからの記録から過去について知ることができる。
それ以前は考古学的な発見から、研究者は、当時はこうであったと想像上の考えを書いてきた。
時代を遡れば、遡るほど、記録は断片的になり、なくなっていく。
遠い過去は存在しないと同じである。そこに人間の想像力が働き、あらゆる可能性を考え出す。
歴史の記録は断片的であるから、その隙間に様々な新たな考えが入り込む余地が生まれ、新たな歴史の物語が創られたりする。

しかし、真実を知っても知らなくても現実は現実であり、変わりようのないものである。
歴史は過ぎ去った現実のことである。変わりようはないはずである。

現実は時と共に過去になり、記録となっていく。
記録には間違いがあるのは、人間が書いたものであったりすれば、当然である。

「人は歴史の教訓から多くを学ばないということが、歴史の教訓すべての中で最も重要である。」
と書いた人がいる。