1. マイケル アレフ の名前について

マイケル アレフ Michael Aleph (アマチュア人生研究家

2021年1月
この名前は、自分が呼ばれたいように個人の名前のイニシャル M.A.から 作ったものです。ニックネーム(愛称)のように、ペンネームとして、40代初めに音楽CDを制作していて作りました。自分のために作った英語の名前です。
アルファベットには A アルファー、B ブラボー、C チャーリー、D デルタのように呼び方に決まりがあり、M.A. はマイク アルファーと呼びます。それを少し変形にしてマイケル アレフにしました。

個人的には書いた内容が重要で、人間としての個人の存在に大きな意味はないと考えています。従って、名前も個人を特定しない方が良いのではないかとペンネームにしています。特に自由に考えを述べるためには個人の存在は知らない方がよいかもしれません。個人の存在はその時代、その世代として生きた記憶の中にあっても、ただそれだけのことのように思います。

個人の作品には「素顔の横田基地」があり、1999年の終わり頃から10年以上にわたりそのサイトを作り、運用していました。その目的は米軍基地を少しでも違う観点から見てもらえたら、基地に対する認識も変わるのではないかと考えたからです。話題と出来事、歴史、基地新聞、写真は今でも十分に役立つ資料と考えます。

当時インターネットは十分普及していない頃で、ホームページとしては比較的新しく、多くのアクセスがありました。そのサイトは2010年、定年に伴い更新はできないと判断し、記録として残しました。

2017年5月より、マイケルアレフのことばの不思議な世界、を開始しました。人類の抱える諸問題に関連し、ことばの問題が人間の認識の本質を意味するのではないかと考え、探究するという形で始めたものです。その探求過程を知らせることにより、読む人が現実を正しく認識する助けになればと考えました。
個人の思いついたことを中心に書いていますが、全て更新中とあるように、このサイトの内容は完成したものはなく、変わり続けるものです。

シリーズ「ことばの認識は世界を変える」は現在28まで続いていますが、自分の考えの変化に伴い、内容にも変化があります。その変化は自分の間違いに気づき、反省し、改善し、進歩するという人間のあるべき姿を明確に示すためでもあります。このため、シリーズ1から書き直すことも考えにあります。

2021年4月末
シリーズの見直しを4月より始めました。シリーズ1では、自分の考えの変化というより、新たな考えが浮かび、言語はことばに思えても、ことばは言語ではないこと、情報と知識とは何か、ヨハネの福音書の冒頭にある「初めにことばがあった」という意味の説明を書きました。

文字を読む人、考える人が少なくなる中で、書いていることは、世の中と逆行しているように思うのですが、そこに重要な意味があるのかもしれません。

人類の意志があるかどうかはわかりませんが、ことばの認識を深めることを自分に与えられた使命のように考え、今後も思いついたことを書いていきます。

10月末
シリーズを振り返って半年が過ぎました。見直しをしたところ、新たに気付いたこともあり、個人の考えも大きく変わっていることを感じます。同時に老化現象により少しづつ記憶力が低下しています。それでも新たに気付くことがありそうです。見直しを続けます。

12月末
シリーズの見直しを終える前に、シリーズを書くきっかけとなった疑問、人類に戦争がなくならないのはなぜか? に対する答えが見えてきました。シリーズ30、31にその答えを書いています。
答えに思えても、考えが足りないかもしれません。答えが正しいとしても、解決策ではありません。統一した教育が解決のカギに思えても、困難極まりないことのように思えます。

2022年4月
シリーズの見直しの大半は終わりましたが一年が過ぎてしまいました。シリーズ1の続編など新しい考えと思えることを優先したためです。見直しをしてわかるのは、考えが絶えず変化していると思えることです。考えが変化していることに気付くためにも、見直しは重要に思います。
このサイトのきっかけである争い、戦争の理由をシリーズ31で明らかにしたので、目標の一部は達成できたように思えますが、気付いている人類の問題の根底にある原因についてさらにわかりやすく説明していきたいと考えています。

10月 シリーズ32に人類の問題の根底にある原因として、人類と大自然との調和について、
その5 大自然と人間の価値観の違いについての具体例を、

11月 時間についての問題、雑感の記録 時間の過去と未来が無いことについて書きました。

12月

新たに思いつくことはまだありそうですが、大きな意味はないかもしれません。
そこで、今までに書いた内容の方が重要に思えるので、シリーズ1から振り返ることにしました。

新たに思いついた重要に思えるものは、新たに掲載する予定でいます。


2024年 自分を振り返って 
言い訳

「俺は頭が悪い。成績は悪いし運動も苦手だ。」
若い頃、自分に優れたところは無いと思っていた。自分に自信は無かった。

これは自分、個人の考えである。
しかし、人間の持っている能力のことではない。
人間の能力に気づいていない姿である。

経験と学習を通して、これは 「自分がそう思っているだけで、人間としては違うのではないか?」と考えるようになった。
できない自分であっても、人間としての能力は別にあるかもしれない。

それ以来、自分ではなく、人間の能力を活かすことを考えるようにした。
それは出来ない理由を考えず、できる理由を見出だすことにつながった。
結果、できない言い訳をしないようになった。

*わかりやすくするために、人間という機械を操作している自分がいる、と考えてみる

人間という機械には素晴らしい機能があり、脳が運用、管理している。
自分の考え、操作次第で、その想像を越える力を発揮させることができる。
時の経過の中で芸術家、科学者、教育者他が育っては、その成果を残してきた。
人間は何と素晴らしい存在ではないか。優秀な人がたくさんいる。

しかし、人間である機械である大部分は自分ではない。
遺伝により受け継いだものである。
自分とはそれを動かしている脳の本の一部分の働きに思える。

人類は、人間という存在を軽く考え、自分が全てだと思っている
しかし、素晴らしいのは人間という存在であり、個人の自分という存在は全てではない。