サイトの目的

2022年8月

ことばの楽しさを取り上げることは目的ではないため、サイトのタイトルをサブタイトルであった「言葉の認識は世界を変える」に変更した。
このサイトではことばの抱える問題について考えたことを知らせるという目的があり、それが人類が抱えている問題の本質を明らかにすることであると考えている。





2021年4月

まもなくこのサイトは5年目を迎える。そこで過去を振り返ってみた。

1+1=2 の意味、こんな簡単なことがわかっていないと自分の認識に気付いた時、自分がわかっているという認識すべてが、わかっていないのにそう思い込んでいるだけなのではないか、という疑問がわいた。40年も前のことである。

ことばに問題があるのではないか、と思うようになったのは、「素顔の横田基地」のサイトの中に「ことばの不思議」について書くようになってからであるように思う。

自分にとっても衝撃的な「創世記の記録から読み解く神の真実の姿」を書いた。
以前から、神ということばに問題があることに気づいていた。それは同じキリスト教を信じていても、人によって神に対する理解に違いがあることだった。同じ神様なのに、実は人によって大きな違いがある。
どうして違うのか? それはことばの理解に問題があるからではないかと考えるようになった。

ことばとは何なのか?
考えていくなかで、ヘレン・ケラーのことを思い出し、調べてみた。そこで気付いたことを書いた。新しいサイトの必要性を感じ、「マイケルアレフのことばの不思議な世界」を作り、ことばの認識は世界を変える、シリーズその1とした。

その中に「ことば」とは何かを書いた。それまで定義は明確でなかった「ことば」の定義を「五感を通して得られたイメージを含む情報とその総称」であると書いた。現在は「情報を取り扱うシステム」と表現している。

それ以来4年間にわたり、シリーズとして28回、ことば(正確にはその媒体である単語)の理解に問題があることを書いてきた。
人が考えることは、ことばに依存している。ことばに誤りがあれば考えにも影響する。

書いている内に気付いたこと、人間性に進歩が見られない理由、新しい価値観、人間の考えに人類という視点が欠けていることが人類の存続に重大な問題を引き起こしていること等についても書いた。

書いた内容は、完成したものではない。改善の余地があるから進歩できると考えている。個人の持つ考えも変化している。

4年という時間も経過することから、書いてきた内容を振り返り、必要なら修正し、新たな考えがあればそれも付け加えたいと考えるようになった。近々、シリーズの見直しを始めたいと考えている。





2017年5月

人類の歴史を振り返ると、知り得る限り、殺し合いの歴史である。

地域にもよるが戦争の無い時代はほとんどなかった。有史以降6000年もの時が経過しているにもかかわらず、又これほどまでに科学が進歩している現在においてもなお、どこの国でも犯罪も殺人事件もなくならず、地域によっては紛争も戦争もあり、さらに世界に影響を与え得る大きな戦争の危険もあるのが現状である。

人類はこの基本的な問題を解決することはできないのだろうか。

こんなに当たり前のことのように思われることがなぜ改善できないのだろうか。国際連盟、国際連合も作ったではないか。何故根本的に改善されないのか。


人間の認識は何故こうなのか。認識することの問題はどこにあるのか。


そこで認識について考えてみた。ことばの働きの関係も考えてみた。そして認識の多面性に気づいた。ことばの働きにも様々あることに気づいた。

かなり過激と受け取られそうな内容も気付いた通りに書いてみた。

認識が創り出してきた想像物、創世記の記録から読み解く神の真実の姿、絶対者の存在だけを肯定する理由、過去も未来も現在の中にある、正義はない、人権についてなど重大な問題提起である。
基本的には信じることへの問題提起である。しかし、問題提起はできても、解決策を示したわけではない。

個人の力は微々たるもので、解決する力はないように思える。皆の知力をもってあるべき姿を模索することができないだろうか。


個人的ではあるが、願うのは一部の人であれ、書かれた内容から人生における何らかのヒントを得てもらうこと、そして人類の未来へ役立つ手がかりになるものを得てもらう機会になることである。

マイケル アレフ (アマチュア人生研究家) 


書いた内容は専門的に学問として学んだわけではない。考えが不十分な点、間違いもあると思っている。しかし、大切な何かを学んでいただけるかもしれないという願いから、より広く多くの人に知っていただく機会を設けるために2017年「素顔の横田基地のことばの不思議」を独立させて新しいサイトとして作り直した。