ことばの認識は世界を変える シリーズ 7 奇跡、認識の問題、そして未来 前置き: マザー・テレサに祈ることで起きたとされる奇跡 (認識の多面性からの引用) 1. キリストと使徒たち、当時の人々を現代社会に招待したら 2. 分からない理由を簡単に神の奇跡とすることの問題 3. なぜ未来を予想することが困難なのか 4. 人類が成し遂げている業績への認識の欠如 5. 認識すべき現実にある奇跡、それは何を伝えようとしているのか 奇跡の意味(ウェブリオ): @ 常識では理解できないような出来事 A 主にキリスト教で人々を神への信仰へ導くために神によってなされたと信じられている超自然的現象 前置き: マザー・テレサに祈ることで起きたとされる奇跡 (認識の多面性からの引用) 「2016年9月、マザー・テレサは2回目の奇跡がローマ法王により公認されたのを受け、聖人の仲間入りを果たした。 バチカン・教皇庁のニュースによると、 「2008年9月10日、重い脳の病気に犯されたブラジル人技師の男性が絶望的な手術を受けるために手術室に運ばれていった。その時、彼の妻は一人の司祭と何人かの家族たちと共に聖堂で待機していた。 彼女は前晩からマザー・テレサに夫の病気を治してくれるよう熱心に祈っていた。 全ては一瞬にして起こった。担当外科医は手術を少し延期するために手術室を30分ほど後にした。そしてしばらくして手術室に戻った外科医は、そこにベッドの上にきちんと腰掛けている病人の姿を発見した。つい数分前まで意識もなく生死の境をさまよっていた瀕死の患者が完全に意識を取り戻し,医師に何のために自分はここにいるのかと尋ねるのだった。 脳細胞に見られた欠陥が瞬時にして完全に消え去っていたのである。その後、この奇跡的治癒は専門家たちにより,医学的には説明不可能な完全な治癒として確認された。病魔によって破壊臓器が完全な状態に戻されるというこのような奇跡は「第一級の奇跡」として承認される。 この奇跡によって、貧しい人々,疎外された人々の友,天使であったマザー・テレサの列聖への扉は大きく開かれたのである。」 この奇跡を否定する気はない。信じない人によってはトリックやマジックだなどと言うかもしれない。そうかもしれない。はっきりしていることはある。奇跡はこれまでにたくさん起きてきたことである。 すべての絶望的な病人と関係者がマザー・テレサに祈り、そのすべての病人が癒されたのなら、それは現実として受け止めることができる。しかし、そうはならない。奇跡は稀だから、奇跡なのだ。また、奇跡的に良くなっても人間として死ぬ定めからは逃れられない。つまりその時一時的に助かったとしても、まもなく死ぬことに変わりはない。 昔からたくさんの奇跡があった。奇跡は稀に起こるものなので、神様によるなどと説明されてきた。しかし、奇跡があったとしても、起きた本当の理由はわからない。わかったら奇跡ではなくなってしまう。 奇跡を起こすとされる祈りの対象も様々あり、キリストさま、マリア様、12使徒、パウロを含む数千に及ぶ聖人、ユダヤ教の神様、ヒンズー教の神様、イスラム教の神様、仏教の仏さま、ローマ帝国には30万の神様がおり、日本の神道の神様に至っては「八百万の神」(やおよろずのかみ)の神様がいる。」 昔の奇跡は人々を驚かせ、起きた理由は分からないので、神様の働きとして人を信仰に導く役割を果たしてきた。 1世紀のキリストの時代に、現代のマジシャンが現れたらとしたら、奇跡をおこなう人として崇められることだろう。手品やマジックは娯楽としては安心して楽しめる。タネがあると皆だれもが思っている。もしタネがあることを知らなかったなら、奇跡をおこなうことと同じに見える。 つまり、過去においては奇跡の理由がわからないことに意味があった。理由は何とでも言うことができ、神様を理由にして、人々を信仰に導くこともできた。 聖書に書かれている奇跡の多くは、現代の科学やマジックをもってすれば、たいていのことは再現可能に思える。人類はそのすべてを超える奇跡を行う存在にさえなっている。 1.キリストとその弟子たち、当時の人々を現代社会に招待したら 2000年前の人々が今の時代を見ることができるとしたら、どう思うだろうか。 イエス・キリストと12使徒、当時の人々を現在に招待し、世界を案内し、現在の最先端の科学を見てもらったら何と言うだろうか。 あり得ない。信じられない。奇跡どころの話ではない。「信じられない」を通り越し「Oh, My God!」、「ああ、神様!」と叫び、卒倒してしまうかもしれない。 現代には、昔の人にとっては信じられない世界が広がっている。 人は鳥のように空を飛ぶことが夢だった。 飛ぶことができるようになるために、鳥を観察し、翼を作り、高いところから飛びおりた人は何人いただろうか。空を飛ぶ夢を見、考え、努力し、どれだけの時間を費やしてきたのだろうか。 人が空を飛ぶことができるなど信じられないことである。 1世紀当時、物はなぜ落ちるのか。その理由を誰も考えていなかった。知らなかった。 ニュートンが気づくまで、重力の存在を知らなかった。 長い時を経て、1903年12月ライト兄弟は、初の有人動力飛行に成功した。 それ以来、科学技術の進歩は目ざましく、F22、F35ステルス戦闘機 B−2ステルス戦略爆撃機などが開発されている。 1世紀にはレーダーの概念はなく、説明してもステルスの意味など全くわからないだろう。 ジェット機なら音の速さを超えるスピードで飛ぶこともできる時代になった。 1世紀当時、音とは何か、音の速さも知らなかった。 音速で飛ぶ戦闘機を身近に見たら、またドッグファイトを見たらなんと思うだろうか。 見ても信じられない。認識不能になるだろう。 ・ ・ ・ そんなこと不可能だ。絶対あり得ない。 飛行機のジャンボジェット(Boeing747)、およそ長さ70m、高さ20m、翼64m、最大離陸重量400トン、一例に過ぎないが、日本の東京から米国のニューヨークまでの約11,000kmという距離を、乗客を乗せて飛んでいる。 当時は地球と言う表現もなく、まだ平らな世界だった。地球上に日本という国は知られておらず、アメリカという国の存在もまだなかった。もちろん世界一周などという考えもなかった。 乗客500人も乗せた巨大な物体、そんなに重いものが空を飛ぶという説明を聞いて理解できるだろうか。 ・ ・ ・ そんなこと不可能だ。絶対あり得ない。 直接近くで離陸するのを見る機会があったら、恐ろしさのあまり震え、気絶してしまうかもしれない。 家にいながら、仕事をしながらでも、世界中の人と話ができる。 電話ができたのは1870年代、日本に広く普及したのは戦後だろう。 電線(有線)によって遠くにいる人と話をすることができるようになった。 それだけでも重大な出来事だった。それから140年以上が過ぎた。 1世紀当時、遠くの人と会話することが出来るようになることは考えられなかった。 開発されるまでに、それから1800年もの時間が必要だった。 今はスマホで電線も使わず電波を利用して話もできる。 光は普通、太陽などからの可視光線をさすが、赤外線から紫外線までの電磁波をいい、真空中での進行速度は1秒間に約30万キロメートルで、地球7回り半する。 真空ということばの意味も解らない。光に速さがあることも知らない。秒速の意味も知らない。地球という考えもない。そういう時代の人にスマホの説明をして理解してもらえるのだろうか。 今は世界の出来事を大型テレビでニュースを見ることができる。しかもカラーの繊細な映像で、まるで本物を見るかのように。スマホを使えば手のひらサイズでも同じ映像を見ることができる。世界中の人と話もできる。相手を見ながら会話ができる。映像を撮ることもできる。 ・ ・ ・ そんなこと不可能だ。そんなことあり得ない。 畑や田んぼを耕すのに馬や牛が活躍した時代がずっと続いた。 人手でやるよりずっと楽にできる。 今はコンピューター制御による巨大な無人トラクターがGPS機能を使って自動的に広大な土地を耕し、種をまき、収穫する。空には作物の状態を監視するドローンが電子情報を送り、必要に応じて肥料や農薬をまく。だれも想像していなかったことが、現実に起きている。 当時の人にとって、あり得ないどころか、理解不能なことであり、まさに奇跡なのである。 ・ ・ ・ そんなことあり得ない。 1960年の頃の人口はおよそ36億人、現在76億人。2倍以上に増えた。現在1年に約7千万人増加する。これだけの人口に変化があるのに、どうして生きていられるのだろうか。 大量の食料生産が人類の科学の力により可能になっているからである。 一日におよそ20万人の人口増加である。毎日増え続ける20万人の人々をどうやって食べさせることができるのか。 ・ ・ ・ そんなこと不可能だ。そんなこと絶対あり得ない。 文明に違いがあるために、すぐに受け入れることなどできない。2000年という時間を超えて、現実を受け入れることはすぐにはできない。現実を理解し、認識するのには相応の時間と教育と訓練が必要だろう。それでも現代に適応して生きることは難しいかもしれない。出来上がってしまった認識は新たな現実を受け入れることに拒否反応を示すかもしれない。 1世紀当時の人々を現代に招待するという考えは残酷すぎるかもしれない。やはり、その時代に生きていることがふさわしいのだろう。 昔は、理由がわからないために、奇跡が起き、神様を信じる理由にした。 現代は科学的な根拠がある。理由がわかる。ここに大きな違いがある。 信じられない出来事から奇跡だと大騒ぎをし、神様を賛美したのは昔の話である。 科学的な根拠に基づき理由が分かっていて、昔の奇跡とは比較にならないほど、はるかに大きな奇跡に相当する現実を作り出し、実際に体験することさえできるのが現代だ。 比べて気づくことはないだろうか。 2.分からない理由を簡単に神の奇跡とすることの問題 今でも2000年も前の奇跡を信じている人々が沢山いる。 当時、奇跡の起きる理由の説明は必要なかった。あり得ないことが起きたというだけで十分だった。起きた理由がマジックやトリックであっても、わからなければよかった。 「わからない。理解できない。」で十分だった。 しかし、人類は長い間、「わからない。理解できない」という理由で、人の新しい考えを受け入れず、個性を認めず、人間でさえ魔女にされたり、悪魔にされた。殺された人もどれだけいたかわからない。 人類は人間以外の動物の生きる権利さえ否定してきた。 新たな生命体に遭遇した時、意思の疎通ができない生命体に対し、「わからない、理解することができない」ということから、恐怖を感じ、その存在を否定する理由にするかもしれない。それは許されることなのか。 大昔の奇跡を人間は理解できないから、神様のせいにしてしまった。 こんな短絡的な考え方は避けなければならないのではないか。 これが多くの人々を誤導する背景となり、宗教裁判、宗教戦争で想像できないほどの人が殺された。人間の考える力が重要なのは、この誤導を避ける助けになるからである。 世界中の空を航空機が飛び、最新鋭の戦闘機も飛んでいる。自動車も自動運転の時代になりつつある。リニアモーターカーの時代になる。どれ一つとっても昔の人にはあり得ない。奇跡に見えるはずである。 現代の医学はたくさんの病人を癒し、寿命を延ばし、人類に多大な貢献をしている。 たくさんの病気、不治の病の治療方法さえ見つけ、癒された人は数知れない。 奇跡が起きて、たまたまその病人が治った、というのとはまるで違う。桁外れに違うのである。 奇跡に関連して、「昔の記録を信じられるかどうかは書いた人の正直さや誠実さによる。」という人もいる。そう言われると納得してしまう人もいる。しかし、これには大きな間違いがある。 まず、書いた人が本当に正直な人かどうかわからない。正直と思い込んでいるだけの人かもしれない。 正直な人、誠実な人でも手品やマジックに騙される。 なぜ騙されるかその理由がわかるだろうか? 人間の認識するための五感には限界があるからだ。それ故、騙されない人などいない。 どんな文書であれ、書いた人が正直かどうかは重要であるが、正直で誠実であるという理由で、書かれた内容に間違いがないことにはならない。 そこに書かれている記録の奇跡をそのまま信じることは、根拠に基づき理由が分かっている現代の科学を無視するのに等しいのではないか。 3.なぜ未来を予想することは困難だったのか。 1世紀当時に未来を想像しようとしても、現代の飛行機も、ジェット機も、ロケットも、スマホも自動車も思いつくことはできない。このような未来の予測は不可能なことである。 自分の時代という枠から未来を想像しても、結局はその時代の範囲以外の未来を想像することはできないと思われる。 なぜ時代を超えて予測、想像することは無理に思えるのか。 それは ・ ・ ・ 未來を創っていくのに順序、順番があるからだ。 空を飛ぶためのジェット機の存在には、飛ぶための知識、グライダーの発明、動力機関の発明、ライト兄弟の存在、フライトの実験、長距離飛行、より早く飛べる飛行機の開発、エンジンの改良、プロペラ機、輸送機の開発等に見られるように、発展していくという過程と順序がある。 物理学にしても、突然何の背景もなく新たな理論が出てくるわけではない。アインシュタインの相対性理論にしても、事前にニュートン力学を初めたくさんの人の研究と成果があった。 多くの人達の地道な研究と支えがあって、その中から新しい発明や理論が生れるのであり、一連の過程なしにできるものではない。 想像にも段階がある。ある発明に至るにはその前の一連の段階が必要である。 研究の成果は積み重ねの上にある。発想の転換でさえ、転換の前に考えがある。 人間の世界では、それなしに突然、未来が見えることはない。 1世紀当時の使徒ヨハネによる黙示録には、キリストの啓示がみ使いにより示されたことが書かれている。その時代に起きる予言である。7つの会衆にあてられた。しかし、書かれているものの中に現代の飛行機もジェット機も出てくることはない。当たり前である。現代のことなど想像不可能なことなのである。仮に見えたとしても、基本的な知識も情報もない時代に、それが何かを理解することも、認識することもできないのである。 書かれている内容はイスラエル(ヤコブ)、その12人の子供など、歴史的な背景、信仰とのかかわりで神、預言者、会衆、天使、黄金の燭台、サタン、龍、地震、野獣などの表現はあるが、当時の同じ信者にとってわかる範囲のものである。ユダヤ教という宗教基盤、知識・情報、キリストの教えという時代の枠を超えて想像することは不可能なのだ。 創世記に出てくるエジプトでのファラオが見た夢、非常に肥えた美しい牝牛7頭が現れ、その後に非常に醜い痩せた牛が7頭現れ、醜い牝牛は先の肥えた牛を食べつくした。エジプトにその夢を解き明かす者はいなかった。解釈はヤコブの12の子の一人ヨセフによって行われ7年続く豊作とそれに続く飢饉を表すと説明した。 夢も解釈もその時代の枠の中でのことであり、現代を見ることなど不可能である。 その後に現れる預言者イザヤ、エレミヤ、エゼキエル、ダニエル等によることばも、その時代の背景となる情報以上のものは無いと言えるだろう。 それぞれ興味深い表現は使ってはいても、その時代の情報と理解の範囲を超えることはない。現代の空母も戦闘機も出てくることはないのである。未來の正確な予測など不可能なことを示している。 大昔に書かれた予言の書に今現在のことが書かれているかもしれないと真剣に書を読み、探したところで、現在のことが書かれていることはあり得ない。あいまいで、何を意味しているか分からないような内容を、こじつけて解釈することに意義はないと考える。 使徒ヨハネが書いた黙示録はそういう意味で、その時代の情報以上のものは含まれようが無いと考えられる。恐ろしい夢を表現するためには、当時の人が知っていることを書く必要があった。みんなが知らない恐ろしいことを書いても、みんなは理解できないからである。 4.人類による実績への認識の欠如 現代の一般の家庭では、テレビ、エアコン、冷蔵庫、自家用車もあり、快適な生活ができるようになっている。誰でもスマホを持つ時代だ。少し前の時代から見れば、奇跡が起きているに匹敵しているにもかかわらず、現代人がそのことに認識しているかと問えば、誰もが当たり前、とても便利になった程度にしか思っていない。時間が経てば、「そんなの当たり前だ」になっていく。 昔ではあり得なかったことだが、今ではテレビ等のニュースを通して、世界中で何が起きているかを知ることができるようになった。しかし、こうして受け入れている間に、なんでも当たり前になってしまう。 昔の人々と比べると、情報が溢れているこの時代に生きている人々はより多くのことを知っていることは確かだ。しかし、現実を知っているだけで、背景を認識しているわけではないように思える。科学の進歩により、物質的に豊かな、便利な世界になっているだけであると言えるのではないか。 先の例のように、昔の人が見たら想像できない奇跡の時代に生きているにもかかわらず、奇跡に相当することがたくさん起きると、それは新しいものではなくなる。刺激を受けなくなり、感動もしなくなり、当たり前のこととなる。見慣れるからだ。考えることもなくなる。 ここにも認識の問題があるように思える。 これほどまでに恵まれている時代に住んでいながら、人はそのことを認識していないのである。 多くの人は幸せだという認識さえ持っていない。 なぜか。 ・ ・ ・ それは思考の欠如にあるのではないか。 物事を考えなくなり、より動物的、感情で動く人が多くなっているからではないか。 幸せであるためには、幸せということばの意味を理解する必要がある。 その言葉の意味を理解せずに、幸せになることの意味がわかるだろうか。 幸せを理解するために、幸せについて考えることが必要である。 その考えることが道を開くのに、人は考えることを忘れている。 (ことばの認識は世界を変える その他の作品 I 幸せを理解することが 幸せでいられる理由)を参考に。 考えることを忘れてしまっているから、真実が見えてこない。 みんなと同じであればよいとする傾向が拍車をかける。 難しいことのように思えるかもしれないが、世の中に流されず、自分で考え、 自分の責任を自覚し、認識に基づいた行動、自分の生き方をすることが必要ではないか。 5.現代人が認識すべき現実にある奇跡 ここに当たり前と思われていることが、実は現人類でも真似できない、想像できない奇跡に相当するものがある。 それを思い起してみることには、意味があることだと考え、書いてみる。 人類が未だ真似できない、再現できないという奇跡が身の周りで頻繁に起きている。 どこででも見られることだから、そんなこと当たり前だと思っている。 この人間の認識にも問題がある。 人間が驚く奇跡のようなものではないため、認識できないのである。 分からないので、当たり前ですませている。 その奇跡とは何か? ・ ・ ・ 地球上に存在する生命のことである。 これだけ進んだ文明を持つ人類は未だに一つの細胞さえ作ることができない。 それにもかかわらず、生命体はたくさん存在している。 やぶ蚊、ゴキブリ、植物、爬虫類、動物など様々な生命体がいる。細菌もいる。 やぶ蚊やゴキブリが、いつもやっつけているやつが、すごい存在だなんて ・ ・ ・ それこそ信じられない ・ ・ ・ と思うかもしれない。 生命体は自然に存在しているように見えるが、プログラムで作られ、動いている。 人類はそのほんの一部を、その遺伝子を操作することができるようになった。 ドリーは1996年、ほ乳類では初めてクローンにより生まれた羊で約6年生きた。 以来、他のクローンがたくさん誕生している。遺伝子操作により光る花や魚も作られている。 人類は存在している生命体から多くを学び技術に生かしてきた。 身の周りの見慣れた生命体の存在の方が、人類が作ったものよりも、はるかに進んだ技術で作られているということである。 生命体の存在は奇跡である。人間の存在はその中でも最大の奇跡と呼べるかもしれない。 人は子供が生れてくることを自然で、当たり前だと思っている。 そのプログラムが人類の科学を超えていることを認識することができないからである。 人間の場合、わずか針先くらいの受精卵は母親の胎内で分裂を繰り返し、およそ10か月で赤子を出産する。一つ一つの細胞に人間となる設計図がプログラムとして書き込まれている。 受精卵はいろいろなものになる万能細胞である。分裂を繰り返す。しばらくは対称分裂を繰り返す。同じ細胞が作られる。将来どの細胞が何になるかは決まっていない。 およそ1週間後に対称分裂は終わり、非対称分裂が始まる。その後はすべてプログラムの目的に従って創られていく。目的以外のものにはならないように制御されている。 分化によってその目的に従って、目、鼻、口、耳、手、足、指、頭、心臓、胃、肝臓、すい臓、膀胱、血管、神経、骨、髪の毛、爪、皮膚等、それぞれの細胞が創られていく。後戻りすることはない。 初めの受精卵から人間として必要なすべてが創られる。 ひとりの人間として誕生してからも、脳はその体をコントロールし、成長を含む様々なホルモンの分泌、呼吸・体温・血圧・食欲・性欲・消化機能の維持・管理、心臓の制御、体内時計等、想像を超える働きをし続ける。 人間の細胞一つ一つに遺伝子が組み込まれている。遺伝子は分子言語でできている。プログラムである。人類がその細胞一つを作ることに、今後どれほどの時間がかかるかわからない。 遺伝子操作はすでに人類が行い、活用している技術である。その技術を使えば、新たな生命を創ることは難しいことではないのかもしれない。 人間が遺伝子を操作するように、高度な知能を持った他の生命体がすでにある素材を利用して現在の地球上の生命体を作ったとしてもおかしくはない。 倫理面を別にすれば、人類も新たな生命体を創り出すことはそれほど難しいことではないのかもしれない。 ただし、新たな生命体を創ったとしても、その遺伝子を創ったわけではない。利用することができたという意味である。 それは何を伝えようとしているのか。そして未来について。 地上の生命体は、それを創造した他の生命体の存在を示していると言える。 地上の生命を創ったのは、現人類を超える知能と技術力を持つ存在のことである。 人間の思考では、絶対者の存在を認めることはできても、その意図を知ること、理解することは限りなく不可能に近い。しかし、現人類を超える知能と技術力を持つ知的生命体が地球上の生命を創った、という考えであれば、理解することは可能である。 人間のDNAは何万種類にものぼるたんぱく質の設計図であり、プログラムで動く以上、設計者がいると考えることは論理的であると考える。 その設計者は人類をはるかに超える知能と能力を持つ知的生命体のことであると考えることに問題はないと思える。ただし、この知的生命体を特定することは難しいかもしれない。なぜなら、高度な知能を持つ地球外生命体の存在は一つ(一種)とは限らず、多数あることも考えられるからである。 では、なぜ、人類は人間以外の知的生命体の存在を知らないのか。 地上にある生命を創るだけの能力がある知的生命体であれば、その生命体に関する何らかの情報があってもおかしくはないのではないか。なぜ情報がないのか。 確かな答えがあるわけではないが、思いついたことを書いてみる。 ・ 地球外生命体は地球上にすでにたくさんいるのかもしれない。人間を含め生命体は地球外から来たものかもしれない。地球上の生物として同化してきた可能性もある。 ・ 地上の生命、そしてその遺伝子の中に知的生命体の情報が残されている可能性はある。今まで人類がそれに気づいていない、又は気付いていなかったからかもしれない。今後新たな考え、情報が出てくる可能性はある。 ・ 人類以外の高度な技術力を持つ知的生命体は、自らの意思により、自分たちの存在を人類に知られないように、隠してきた可能性はある。なぜ隠す必要があるかはわからないが、その存在を公にしても、人類がその真実の姿を正しく認識することができないからかもしれない。 ・ 知的生命体の存在を知った人類の政府により隠蔽された可能性も考えられる。 1947年7月ロズウェル飛行場を管理する第509爆撃大隊の兵隊がニューメキシコ州ロズウェルの近くにある農場に墜落した空飛ぶ円盤を回収したと発表した。大々的なニュースになるが、同日その発表は、気象観測気球の断片を回収しただけと否定された。 今読み返している「エイリアンインタビュー」によると、現場に居合わせることになったマチルダ・オードネル・マックエルロイ(軍で同行した唯一人の看護婦)は、飛行船の乗組員の中で生き残ったエイリアン一人とその後およそ1っか月にわたり軍の厳しい監視下でテレパシーを通して会話し情報を収集したことが書かれている。その情報は極秘扱いにされた。内容はそのエイリアンとのインタビューだ。その時の関わりの詳細が書かれている。 こうした時の政府による隠蔽ケースは複数あったのかもしれない。 ・ 物理学者のスティーブン・ホーキング博士は「宇宙にはたくさんの生命体がいると考えられるが、高度に発達した文明は滅びてしまう」と語っている。 ホーキング博士は人類の未来に関連して100年という数字をあげている。 人間の能力をはるかに超える知的生命体が存在することは考えられる。ただし、ホーキング博士が指摘しているように、その知的生命体はその文明と共にすでに滅び、存在していない可能性もある。ホーキング博士の考えにも間違いの可能性もある。 これからの人類の未来にその事実を知る機会、真実が明らかになる時がやってくる。そう願う。しかし、そのためには、人類の未来が100年では短い、短すぎるのではないか、とも考えられる。反対に、100年という期間は長すぎるのかもしれない。言い換えるなら、結論はもっと早い時期にわかる可能性もある。 現代は有史以来、科学技術がその最高潮にあるだけでなく、確実に人類を絶滅させる可能性もある時代である。 遺伝子工学では遺伝子の組み換えにより数百年、数千年という時間がかかった変化を一日で行うことさえ可能な時代であるという。 現代は、人類が遺伝子操作で新たな生命体を創ることが可能な時代である。 人類の期待と予想に反し、実験の際にブラックホールさえ創り出すことになってしまう時代なのかもしれない。 現在の人口は76億人。一日約20万人の人口増加がある。この状態をいつまで維持できるのだろうか。 人類はどこまで進歩することができるのか。 誰にもわからない。
|