今では考えられない 病気の原因
一世紀当時は医療が発達していなかったために、細菌やウィルスの存在を知らず、精神病も知らず、科学的な情報はなく、医学に基づく病気の治療もできない状況にあった。病気は、今では信じられないことに思えるが、悪魔や悪霊が原因であった。病人は悪霊に取り付かれていると誰もがそう信じていた。
マタイを含む四つの福音書には悪霊に取り付かれている人々が沢山いたことが書かれている。イエスも病気の原因を悪魔や悪霊のせいにした。
悪霊という表現がたくさん出ている。サタンや悪魔が出てくる。悪霊とは何か。人に乗り移る病気の原因である。イエスに話しかけることができた。悪霊は豚の群れの中に入り、崖から落ちたという記録もある。
イエスの病人を癒す奇跡の評判はガリラヤ全土、シリアじゅうに伝わった。
具合の悪い人すべて、様々な疾患や苦痛に悩む者、悪霊に取り付かれたり、てんかんであったり、麻痺している者を連れてきた。
マタイ10 :1 イエスは12使徒を呼び寄せ、汚れた霊たちを制する権威をお与えになった。それを追い出し、あらゆる疾患とあらゆる病を治すためであった。
言い換えるなら、あらゆる疾患とあらゆる病は汚れた霊たちの仕業であると信じられていた。
12:22 人々は悪霊に取りつかれた盲目で口のきけない人を連れてきた。
17:14-20 てんかんに病んでいる息子が連れてこられた。イエスはその霊をしかりつけられた。すると悪霊はかれから出てきた。少年は癒された。
イエスキリストの奇跡によりあらゆる疾患とあらゆる病が治された。病人が癒された。ライ病人もいたが、清められた。人々はこれらの疾患と病の原因を悪霊たちの仕業であると信じていた。
今でもイエスに追随する人たちはその教えを守り、病気が悪霊のせいだと信じていることになる。これはイエスの基本的な教えであり、行動であるからだ。
時代は人々に認識の変化を求めている。病気の原因を悪霊にすることなど、異常だと思わないのだろうか。2000年も前の考えを、今の時代の考えとして受け入れることには重大な問題があると思わないのだろうか。
ウィキペディアで病気について調べてみると、その定義や背景について詳しく説明があるが、病気の原因を悪魔や悪霊とする資料はない。現代では時代遅れの考えどころか、辞書にも載っていない。現代では到底受け入れられない病気の原因である。
現代医学は病気の原因をつきとめ、治療を見出し、全世界で人々はその恩恵にあずかっている。たくさんの病人を癒し、寿命を延ばし、人類に多大な貢献をしている。たくさんの病気、不治の病の治療方法さえ見つけ、癒された人は数知れない。奇跡が起きて、たまたまその病人が治った、というのとはまるで違う。
2000年前、病気の原因は悪霊であり、それが現実であった。現代の知識も理解も無かったから認識が違うのは当然である。しかし、今でも当時と同じように、悪霊に取りつかれていると考え、イエスの教えに間違いがないと信じている人はたくさんいる。そう信じることは、その背景に無知、情報の不足、知ろうとしない傲慢さ、愚かさがあるからだと気づくことはないのだろうか。
時代はこうした考えに変化を求めている。その時代背景をよく考え、当時の教えをそのまま受け入れるという判断には、重大な間違いがあることに気付く必要がある。病気の原因を悪魔や、悪霊のせいにして信じることは明らかに時代錯誤であると考える。
イエスの教えは2000年も昔の考えに基づいている。当時素晴らしい新しい教えとして人々に受け入れられたとしても、現代の認識に合致するものではない。その理由を9回にわたって説明した。これ以上細かく解説する必要はないだろう。自分でよく考えればわかることであるからだ。
それでも当時の認識に問題があることに気付かないなら、何を言ってもわからないことになる。なぜなら、自分の考えは間違っていないと信じているからだ。しかし、信じることは人類に多くの悲劇、虐殺や宗教戦争をもたらしてきた原因でもある。信じるとは他に考える余地がないことと同じである。
イエスが人間としての素晴らしい模範を残したことに間違いはない。それは人類の中で素晴らしい模範を示してきた多くの人達の一人であるという意味である。
イエスの教えに誤りがあることは、イエスを間違のない、完全な人間であったとすること、また神格化して神様とすることに重大な間違いがあることを示していることになる。
|