Simple Truths will correct the human beliefs by Michael Aleph |
![]() マタイ7章1‐5 人をさばくな。自分がさばかれないためである。あなたがたがさばくそのさばきで、自分もさばかれる・・・兄弟の目にあるちりを見ながら、自分の目にある梁(はり)を認めないのか・・・ どうして兄弟にむかって、あなたの目からちりを取らせてください、と言えようか。
偽善者よ、まず自分の目から梁を取りのけるがよい。そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目からちりを取りのけることができるだろう。 今日でも「自分の欠点を棚に上げて、他人の欠点を大きく悪く言う」傾向は一般に広く見られる。避けるべきことであるが、2000年前からあまり変わっていないようだ。 このたとえはわかりやすいが、体の一部の目を使っているため、内容的に無理な表現になっていて、現実にはあり得ない。 目に梁、丸太、垂木が入るだろうか。入っている状態を想像することができるか。現実にはできない。想像するとマンガになってしまう。道理に合わない。 実際に小さなごみが自分の目に入ればどうなるか、経験したことがあるならわかるだろう。痛くて、不快で、正常心を保てない。すぐに自分で何とか取り除くか、他人に見てもらうか、医者に行く。他人の目にゴミが入れば、自分と同じように痛くて、その人はすぐに助けを求める。 次に、ここに人を裁いてはいけない理由が書かれている。自分が裁かれないためでとある。 しかし、人を裁いてはいけないのは、自分が人に裁かれないためではない。付け加えると、神に裁かれないためでもない。 人を裁いてはいけないのは、裁くこと自体に間違いがあるからである。 1. 人間は間違いのない完全な判断をすることができない。 2. 人は変わり続ける存在である。人は反省し、改善し、進歩する。 英文 Website Simple Truths by Michael Aleph |