Simple Truths will correct the human beliefs
by Michael Aleph

  比較することの問題: ソロモンとユリの花

マタイ6:28 なぜ着物のことで心配するのですか。野のゆりがどうして育つのか、よくわきまえなさい。働きもせず、紡ぎもしません。
6:29 しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を窮めたソロモンでさえ、このような花の一つほどにも着飾ってはいませんでした。
6:30きょうは生えていて、あすは炉に投げ入れられる野の草でさえ、神はこのように装って下さるのなら、あなたがたに、それ以上よくしてくださらないはずがあろうか。ああ、信仰の薄い者たちよ

イエスは神が花も、草も、人間もすべてを育てていると考え、それが正しいものと思っていた。そう信じていた。神が育てているという認識である。

イエスは植物の成長には何が必要かを知らなかった。
植物は働いていないし、紡ぎ(綿・繭から繊維を引き出し、よりをかけて糸にすること)もしていないと表現した。

今では小学校でも学んでいる。
植物がどうして育つのか。ウェブ上で検索すれば、
発芽条件(水・温度・空気)+(日光・肥料)=成長条件 とすぐに出てくる。

生命体は遺伝子により生きている。遺伝子は生命体として生きて行くため様々な活動をしている。植物が太陽の光を受けて光合成をしていることなど、当時は想像することができなかった。イエスはこの事実を知らなかった。わからないから神様が育てていると表現した。

わからないからということから、神様が育てていることにして、それが正しいと考えた。信じることは昔からの一般的に見られる傾向であるが、わからないから信じるということに問題はないのだろうか。

イエスは植物のユリと人間を比較して、装いについて、ソロモンはこれら一つほどにも装ってはいなかったと表現した。ユリは装っているとイエスは考えた。

ユリは自らの意思で美しいのではない。装っているのでもない。
受け継いだ遺伝子によって花を咲かせるだけである。

「花そのものは、自分が美しいとの意識はない。
受け継いだ遺伝子によって花を咲かせるだけである。
人はそれを見て、美しいと思う。
自分から見て、自分は美しいと思うのは、人間だけだろうか。」

栄華をきわめたソロモンはその一つほどにも装ってはいなかったとイエスは言った。しかし、何を持って装っていないと言えるのだろうか。

花と人間を比較してどちらが着飾っているかなどと考えることは不適切ではないか。

イエスは「信仰の薄い者たちよ」と言って、人々に信心が足りないことを指摘した。
それは信じることに確信が不足しているという意味である。
イエスは人々が真実を知ることではなく、真実からかけ離れた考えを持つこと、ただ信じることを要求した。

イエスの教えは、当時の常識に基づき、人々にはわからないこと、理解できないこと、信じるしかないことを教えた。
それは今では真実からかけ離れた考えであり、信じることでしか受け入れることのできないことであり、騙されることと同じことである。

今も騙されたまま、信じているままの人びとがいる。
なぜ人はこれほどまでに騙されていたいのか。

真実を知ることが必要である。真実とは現実のあるがままの姿である。
科学が明らかにしてきたことである。
真実に目覚めることこそ人間としてあるべき姿であると考える。

人間は誠意を持って現実と向き合うべきである。
誠意とは、まごころ、うそいつわりのない心。私利・私欲のない心。他人のために尽くそうという純粋な気持ち。偽りや飾りのない心のことである。
私利私欲に惑わされず、純粋な気持ちで間違いを正すことは必要である。




英文 Website Simple Truths by Michael Aleph